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立教(法)法/経/商/社会系


偏差値71( 5つ星評価 )
得点率概算85.2%
766.8点/900点満点
偏差値順位全国 81位/2324校( 学部単位 )
関東地方 43位/785校( 学部単位 )
東京都 37位/417校( 学部単位 )
国公立/私立私立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【立教大学】
立教大学(りっきょうだいがく、英語: Rikkyo University/Saint Paul's(スクール・ニックネーム))は、東京都豊島区西池袋に本部を置く日本の私立大学。1874年創立、1883年大学設置。大学の略称は立大(りつだい)。
概観 ■ 大学全体
英国国教会を始祖とする会派、米国聖公会(歴代米国大統領の1/4が信者)の宣教師チャニング・ウィリアムズ主教が、1874年(明治7年)に東京・築地に設立した聖書と英学を教育する私塾、立教学校。設立起源は、米国聖公会信徒のマシュー・ペリーの黒船来航と初代米国総領事タウンゼント・ハリスの活動により日本への宣教勧告と学校開設の勧奨を得た米国聖公会が、1859年(安政6年)に伝道と教育、医療活動を成すプロテスタント初の日本ミッションを長崎に置き、ハリスの支援のもと江戸幕府の長崎奉行・岡部駿河守長常の要請で日本の嚆矢となる英学私塾を創設したことに始まり、高杉晋作、大隈重信(第8・17代内閣総理大臣)、副島種臣(第3代外務卿)、前島密(近代郵便制度創設者)、何礼之(大阪洋学校、現・京都大学創設者)など多くの志士を輩出した。「SPU」の略称もある。 戦間期以降、慶應義塾大学、東京大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学で構成する東京六大学の一校である。 2001年から、同じ聖公会に属する聖路加国際大学と単位互換制度を開始。近隣の大学で構成するF-Campus(5大学単位互換制度)も開始した。 創立以来、国際性やリーダーシップを育むリベラルアーツ教育を実践し、2023年時点で11学部・27学科・10専修・1コース Global Liberal Arts Program (GLAP)を設置。大学院は16研究科設置する。経営学部と異文化コミュニケーション学部は、入試難易度が高く、現在における看板学部である。世界における評価では質の高い先端的な研究を行う理学部が牽引しており、JAXAと協同での宇宙関連の研究開発や、燃料電池、人工光合成等のクリーンエネルギー分野、バイオ医薬の分野などで高い成果を上げている。(理工学分野を参照) 蔦の絡まる煉瓦造りの歴史的建造物群とガラス張りの近代的な校舎が調和する池袋キャンパスは、都会にありながら緑豊かで、異国情緒ある洗練された美しいキャンパスとして知られる。1918年(大正7年)竣工の第一食堂は、ハリーポッターの世界観があると言われる。多様なグループワークに対応する学習スペースと充実したICT環境に加え、リフレッシュルーム、テラス席、ソファ席などが備わり、カフェ併設の滞在型図書館である。芝生広場や中庭も広がる、穏やかで開放的な雰囲気の新座キャンパスは、近代的な校舎のほか、スタジオ棟、体育施設などが点在している。新座図書館は専門書が多く蔵書され、映像資料も充実する。 校友数は2023年時点で23万人を数え、全国および世界に「立教会」と呼ばれる校友組織が広がっている。経済界を始め、出版、文学、メディアなど多くの分野で卒業生が活躍している。2016年に卒業生ネットワーク組織「GLCネットワーク」が発足し、多様な業界で活躍する卒業生たちが立教生のキャリア形成支援を行っている。「就職偏差値が上がった大学」ランキングでは全国1位、イギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイアー・エデュケーション (Times Higher Education)」による世界大学ランキング2023年版では、国際性において国内私大1位(3年連続)に認定されている。 2007年に日本初のESD研究機関である「立教大学ESD研究センター」(現・ESD研究所)を設立し、SDGsの取り組みを推進する。2020年には、大学院に日本初となる、AIに特化した「人工知能科学研究科」を創設した。同年、先端的な英語教育・研究を担う「立教大学外国語教育研究センター(FLER)」を開設。2022年には、学内の温室効果ガスの排出を2030年までに全体としてゼロにすることを目指し、「カーボンニュートラル宣言」を表明した。

■ 国際性、リベラルアーツ教育
米国聖公会が設立した大学であり、歴史的に外国人教員が多く、国際的な学風である。大学の源流である1859年(安政6年)に幕末の長崎で設立した私塾において、江戸幕府の長崎奉行の要請から公式通事(通訳)への英学教育を開始し、明治維新で活躍する外交官を多く輩出するなど、創設以来長きに渡る国際性の伝統を持つ。2014年に採択された「スーパーグローバル大学創成支援事業」を引き継ぐ大学の中核事業として位置づけ、ソウル大学校(韓国)、北京大学(中国)、シンガポール国立大学(シンガポール)のアジアトップクラスの大学との連携事業である「ACEプログラム(The Asian Consortium for Excellence in Liberal Arts and Interdisciplinary Education)」を開設し、4大学による国際共同副専攻 (ALIS) を設置した。 海外協定校は、2024年5月現在、世界46か国・地域に及んでおり、米国のコロンビア大学、コーネル大学、シカゴ大学、バージニア大学、ワシントン大学、英国のケンブリッジ大学、マンチェスター大学、リヴァプール大学、シェフィールド大学、フランスのパリ大学、オーストラリアのシドニー大学、モナシュ大学、ニューサウスウェールズ大学、シンガポールのシンガポール国立大学、中国の北京大学、清華大学、南京大学、韓国のソウル大学校、高麗大学、延世大学など、世界255の大学と280の協定を結んでいる。

■ リーダーシップ教育
リーダーシップ教育においては、経営学部では少人数の体験・実践的なコアカリキュラムであるBLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)があり、実際に企業と連携し、企業から提示される課題にチームで挑む中で、プロジェクトの進め方を学び、リーダーシップ力が養える環境となっている。インターンシップと同じく、社会体験型のアクティブ・ラーニングである。 BLPは、日本初の学部必修のプログラムとして2006年に開設された。2011年には、先進的な教育方法を常に取り入れていることが評価され、文科省・日本学術振興会の「教育GP」(2008─10年度)の成果審査の結果「他(大学)に波及が見込まれるイノベーティブな取組」であるとして最高ランクの評価を受けている。
BLPで培うリーダーシップ力は、これまでの組織内で権限を持つ一部の人が発揮するべきものとされた能力とは異なり、役職に関係なく全ての人が状況に応じて発揮することができるスキルである。質の高い授業と充実した施設環境の中で、能動的で主体性を持った学生が育ち、勉学に本気で取り組む風土となっている。上級生になるとSA(ステューデント・アシスタント)としてプログラムの運営側に回り、下級生へのコーチングや議事進行、教授のサポートなどファシリテーターとして運営側の視点も身に付き、相乗効果が生まれている。卒業後に、いかなる企業や組織でも活躍していくことができる力を育成する環境となっている。企業側から見ても、学生(Z世代)の意見を取り込みながら、外部の会社に委託、発注することなく、市場調査を行うことができ、新規事業開発や戦略立案などで企業と社員を活性化させるインキュベーターとなり、産学連携や企業の社会貢献の有効なモデルとなっている。また、参加する社員のリーダーシップ研修の場にもなっている。 立教GLP(グローバル・リーダーシップ・プログラム)は、内外で評価が高い経営学部のBLPのメソッドを全学で展開するために、2013年度に設置された。BLPと同じく、企業や団体の提示するプロジェクト課題に少人数のチームで取り組み、実践的、体系的にリーダーシップを修得できる全学部を対象としたプログラムで、日本語科目のほか英語科目も設けられており、国際性や語学力も高めることができる。英語科目には、グローバル教育センターが指定する海外学習プログラムに参加するリーダーシップ海外体験科目も用意されている。GLPは、今までの受け身の授業とは異なるプログラムで、本気で取り組んでいる人を応援する文化があり、仲間との真剣な取り組みの中で、主体的に考え行動していく力が身に付き、卒業後に様々な業界で活躍する人材を輩出している。 2016年度からは立教サービスラーニング (RSL) が全学共通科目で始まり、NPO、行政、企業等の受け入れ先での体験学習を通じて、リーダーシップ力を磨くプログラムを用意している。延世大学・復旦大学・慶應義塾大学とは「リーダーシップフォーラム」を毎年開催している。

■ 奨学金制度、経済的支援
学生の経済的基盤を整え、学費負担を軽減し、学業継続の機会を保障するために、様々な奨学金制度が用意されている。立教大学独自の奨学金はすべて返還不要の給与奨学金で、人物、学業ともに優秀な学生の修学を援助するものとなっている。入学前に申し込むタイプ(入学前予約型奨学金)と入学後に申し込むタイプとの2種類がある。入学前予約型奨学金には、親元を離れ、住居費・生活費で経済的負担が増す、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県を除く全国の高等学校出身者対象の「自由の学府奨学金」と、Global Liberal Arts Program (GLAP) への入学希望者を対象とした「GLAP奨学金」がある。「自由の学府奨学金」の支給額は年額50万円(理学部入学者は年額70万円)で、採用候補者数は約500名(2023年度現在)と、大きな枠となっており、4年間受給した場合、国公立大学の授業料とほぼ差がない制度となっている。入学後に申し込むタイプの奨学金の中には、経済的理由により修学が困難な学生を支援するための経済支援奨学金や国際化戦略の一環として、学生が積極的に留学プログラムに参加するよう設置された「グローバル奨学金」などがある。



■ 名称の由来
「立教」の出典については諸説あるが、近年の研究により、最も有力なのは、かつて聖公会の祈祷書(礼拝時に用いる規則書)にあった「立教師」ということばに由来するのではないか、といわれている。この「立教師」という言葉は、ウィリアムズ主教によって訳出された可能性が高い。その他の説として、朱子の『小学』立教篇から採ったとの説、儒学者高愈が註をした「立教法以治人」から採ったとの説、ヘンリー・セントジョージ・タッカーが「立教はセント=ポールズの日本名で、それは『教えの建設』を意味する」と記したとの説。米国聖公会系の学校には全て「守護聖人」が存在しており、St.Paul (SAINT PAUL) =聖パウロは、新約聖書の著者の一人。英国国教会(イングランド国教会)ロンドン教区の主教座聖堂は「セント・ポール大聖堂」と聖パウロを記念して名付けられている。ウィリアムズ主教は自ら遠く東洋へ赴いた伝道者として、偉大な聖パウロを守護聖徒と仰ぎ、その名を本学の名に冠したものと思われる。

■ 建学の精神
校歌に謳われるように、立教学院は自らを「自由の学府」と呼び、基本理念を端的に示すものとして各所で使用している。 建学の精神を表す言葉が「PRO DEO ET PATRIA(神と国とのために)」で、立教大学では、これを「普遍的なる真理を探究し、私たちの世界、社会、隣人のために」と捉えている。「PRO DEO ET PATRIA」は、立教学校設立から約半世紀を経た1918年(大正7年)、築地から池袋への移転を機に、当時総理であったチャールズ・ライフスナイダーが、建学の精神を具体的に表現するものとして定めた立教の「楯のマーク」(現在のオフィシャル・シンボル)の中に書かれている。校友会館である「セントポールズ会館」の礎石には、校友会会長であった大川又三郎の自筆で「神と国との為に」と刻まれている。
教育および研究 ■ 概要
リベラルアーツ教育に基づき、グローバルな課題と社会的要請に対応し、広い視野に立って課題を発見・解決できる能力を持った「新しい」グローバルリーダーの育成を教育の中心に据えている。「新しい」グローバルリーダーに不可欠な要素として「柔らかなリーダーシップ」と「グローバルな力」を掲げ、教育プログラムを構成している。「柔らかなリーダーシップ」とは、権限やカリスマ性がなくても、チームをまとめ、活性化させ、仲間の力を引き出すことができる誰もがトレーニングによって持つことができ活躍できる能力と捉えている。「グローバルな力」とは単に英語が話せるということではなく、あらゆる国や人種の多様な文化や価値観を受け入れ、認め、社会全体のために行動できる力としている。これらの力は、遠い異国の地から日本に渡来し、幾多の壁を乗り越え道を開き活動した創立者や宣教師たちの行動力(沿革を参照)そのものを表しており、建学以来流れる教育指針といえる。 米国ニューヨークにある名門コロンビア大学は、ジョージ2世の勅許によって英国国教会(イングランド国教会)により設立された立教大学と同じ聖公会系の大学である。構内にはセントポールズ・チャペルも持つ。創立当初「キングス・カレッジ」としての大学の方針を確立する際に、全ての構成員は、宗教の自由の原則にコミットすることに同意している。立教大学の教育方針は、キリスト教精神に基づくリベラルアーツ教育であり、多様性を認め、受け入れる「真の国際人」を育てるグローバル教育を特長とし、 「自由の学府」として、コロンビア大学と同じく、宗教の自由の原則にコミットされている。ウィリアムズ主教(立教大学創設者)の名前の由来である米国聖公会ヴァージニア教区第2代主教のリチャード・チャニング・ムーア、ウィリアムズ主教の時代の恩師であるウィリアム・スパロウもコロンビア大学の出身であり、嚆矢濫觴から繋がっている。ウィリアムズ主教は、1867年(慶応3年)に、コロンビア大学より神学博士号を授与されている。 立教大学におけるキリスト教学は他のキリスト教系大学にあるような聖職者養成を目的とした神学ではなく、純粋に学問としてキリスト教を研究する宗教学である。したがって信仰の有無は問われない。文学部キリスト教学科はハーバード大学神学大学院で神学を修めた菅円吉(文学部長)によって創設された。同学科では聖書学からキリスト教芸術や倫理学までキリスト教の広範な領域をカバーしており、キリスト教が世界の歴史や文化にどのような影響を与え、受けてきたのかを学び、世界の文化・思想・芸術など、多様な視点から探求することを目的としている。世界人口の約3分の1が信徒とも言われるキリスト教を広く学ぶことができる国際的な学科である。また、全学部生が履修できる全学共通科目では、仏教の世界やイスラームの世界についても学ぶことができる。歴史的にも1894年(明治27年)には、仏教学者で後に京都大学文学部を創設し、インド哲学の泰斗である松本文三郎(京都大学元学長、京都大学名誉教授)が立教学校の教授に就任し、教鞭を執っており。
文学部は大学設立当初に設置された文科をルーツとし、商科から続く経済学部と経営学部とともに立教大学で最も古い。文学部文学科には、英米文学、フランス文学、ドイツ文学といった伝統と歴史ある国際系学問の専修もあり、外国の文学に加え、映画、音楽、芸術、思想など様々な観点から文化を幅広く学べ、国際的な知性と語学力を高めることができる。英米文学においては、1883年(明治16年)に立教学校卒業生で大阪・英和学舎(立教大学の前身の一つ)教授の河島敬蔵が日本初となるシェイクスピア劇の翻訳(『ジュリアス・シーザー』の逐語訳)を発表し、1886年(明治19年)には、日本で初めて『ロミオとジュリエット』の翻訳書を出版し、日本の英米文学史に名を残す功績を上げている。また、1889年(明治22年)にシェイクスピア劇の翻訳を在学中に掲載した水田南陽は、1899年(明治32年)に日本へ『シャーロック・ホームズ』を紹介した先駆者である。立教学校出身でスタンフォード大学に留学した長沢別天は、1893年(明治26年)にエドガー・アラン・ポーの詩を日本に初めて紹介し、翌年にはジョン・ミルトンの評論を著すなど、明治期に英文学の普及に務めた。1890年(明治23年)頃には、日本の英文学の権威で坪内逍遥と双璧をなした増田藤之助(早稲田大学名誉教授)が立教学校の教授を務め、その後多年に渡り、東京英語専修学校、文学部英文学科で英文学を教えた。この作品はヒューズが在学した聖公会のラグビースクールを舞台としており、イギリスとアメリカで大人気の作品であったが、日本でも明治時代の高校生に最も人気のある英語圏生まれの教科書となった。
上述に加えて、ホームズの著者、コナン・ドイルに影響を受けた江戸川乱歩だが、長男の平井隆太郎は社会学部教授を務め、立教ミステリクラブ顧問も務めた。大学に隣接する乱歩邸は、2002年に立教大学に寄贈され、江戸川乱歩記念大衆文化研究センターでは、日本内外の大衆文化研究の拠点として研究成果の公開と社会還元を行っている。
1922年(大正11年)に日本のアメリカ文学研究の第一人者である高垣松雄が教授に就き、1926年(大正15年)には同分野の先駆者である富田彬(立教大学名誉教授)も教授となり、アメリカ文学研究の基盤を築いた。高垣の教え子に、杉木喬(立教大学名誉教授)や細入藤太郎(立教大学教授)がいる。1927年(昭和2年)に英文学科を卒業した金尙鎔(梨花女子大学教授)は朝鮮に帰国後、1930年頃から『東亜日報』などに詩を掲載し、ポーの「アナベル・リー」(『新生』27、1931年1月)、キーツの「希臘古甕賦(ギリシャの古壺のオード)」(『新生』31、1931年5月)などの英米文学を翻訳・紹介した。
日本における『ピーターラビット』とビアトリクス・ポター研究の第一人者である吉田新一(立教大学名誉教授)は、出身である英米文学科(現・英米文学専修)で講じ、多くの海外児童文学作品の翻訳を手掛け、桂宥子(岡山県立大学名誉教授)や北野佐久子(児童文学研究家)らを育てた。
文学部史学科は、立教大学教授を務めた小林秀雄(史学科長、文学部長を歴任)が1925年(大正14年)に立ち上げた学科で、史学科の最初の教授陣として、西洋史に小林秀雄、東洋史に原田淑人(日本近代東洋考古学の父)、白鳥清(白鳥庫吉の嗣子)、日本史に竹岡勝也、辻善之助(東京帝国大学史料編纂所初代所長)、藤本了泰、中村勝麻呂という陣容で始まり、1年後には、西洋史に野々村戒三、東洋史には東洋史学の開拓者である市村瓚次郎(國學院大學学長、東京帝国大学名誉教授)が教授陣に加わった。大久保の1万2千冊を超える蔵書は「大久保利謙文庫」として大学図書館に所蔵されているが、貴重な資料が多く、学内外からの利用が絶えない第一級の文庫である。
また、立教大学の史学研究の歴史は古く、明治期の立教学校(第2次)では、岩倉使節団の一人として『米欧回覧実記』を著し、歴史学の先駆者として知られる久米邦武が1894年(明治27年)から教授として教鞭を執っている。考古学においては、1957年から博物館学の第一人者である中川成夫が講じ、長く研究に従事し、学芸員の養成にも尽力した。中川は、近世考古学の開拓者としても知られ、立教大学博物館学研究室の加藤晋平(後の筑波大学教授、モンゴル国考古研究所名誉教授)とともに、近世における考古学的研究に道を開いた。中川の教えを受けた森川昌和は、後に鳥浜貝塚において「縄文のタイムカプセル」と呼ばれる遺物を発掘するなど、考古学界に新見地を開く功績を上げた。 経営学の分野では、経営学部に前述のBLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)、人材開発と組織開発を推進する人材を育成する。金曜夜と土曜日開講で、社会人も受講しやすい。また、リーダーシップ理論と教育技法を研究する「リーダーシップ研究所」(2006年開設)も設置されている。経営学部は社会学部長であった白石典義が創設に尽力して2006年に設置された学部である。経営学部のコアカリキュラムであるBLPの立ち上げは、日向野幹也が担当し、経営学部教授兼BLP主査としてプログラムの指揮を執り、学生の資質を向上させ、社会的にも高く評価されるリーダーシップ教育プログラムへと育て上げた。
2022年には経営学部特任教授に、コロンビア大学ビジネススクールで教え、一橋大学でグローバルリーダーを育成する渋沢スカラープログラムを立ち上げたクリスティーナ・アメ―ジャンが就任した。大学院の国際経営学専攻国際経営学コース(MIB)は、国際経営分野の高度な専門性、グローバルな視野と能力、リーダーシップ力を備える人材育成を目的としている。企業経営の幅広い知識を提供し多角的な視野を養うMBAビジネススクール型の大学院としては、「ビジネスデザイン研究科」があり、ビジネスシミュレーションを通じて戦略的意思決定をチームで探究し、論理的な分析力と事業構想を実現する創造的能力を育成する。社会人が受講できる昼夜開講制である。
現在のBLPで育成する新しいリーダシップとは異なり、従来型の経営トップや組織管理者などを主な対象としたリーダーシップ論においては、松井賚夫が社会学部産業関係学科(現・経営学部)で教授を務めた。松井が1958年に出版した『リーダーシップ』は、初版以来長くロングセラーとなり、日本における組織論の名著として知られる。松井や労働経済学を教えた武澤信一が所属した立教大学産業関係研究所をベースとして改組し、現在のリーダーシップ研究所が設置されており、組織研究の歴史を今日まで長く繋いでいる。 非営利・公共分野を研究の主対象とするビジネススクールである「社会デザイン研究科」は、社会の課題をNPO/NGOなどの公益法人や非営利団体で解決する人材を育成する2002年に創設された日本初の大学院専攻である。晩年、非営利組織研究に注力したピーター・ドラッカーが伝える「非営利組織とは、一人ひとりの人と社会を変える存在である。」を体現する人材を育成するためのプログラムといえる。ドラッカーを日本に紹介したのは、立教大学教授を務め、多くの経営者が師と仰ぐ野田一夫である。2006年には、継続的な研究の場として21世紀社会デザイン研究学会(現・社会デザイン学会)が設立され、2008年には「社会デザイン研究所」が設置された。
2007年から2011年まで、ジャーナリストで「知の巨人」として知られる立花隆が特任教授を務めた。 また、本研究科は、日経ビジネススクールと共同で社会人であれば誰でも受講できる「ソーシャルデザイン集中講座」も開講しており、幅広い学習環境を提供している。 異文化コミュニケーション学部は文化や言語の多様性を理解し、グローバル社会の新しい姿を追究する学部である。外国語で会話する (conversation) だけでなく、他者の行動や心情、文化的背景まで理解し、意思疎通 (communication) する力を身に着け、価値観や意見が異なる中で生じる問題や課題を論理的に把握し、解決していくことができる人材を育成する。ここで培われたコミュニケーション力、論理的思考力、問題解決能力は、国家間、民族間、宗教間などの国際舞台や多文化コミュニティで生じる問題に対処し解決していくだけでなく、実社会のあらゆる場面でも役立つ力となる。企業でもダイバーシティが広がり、多様性を理解し合いながら業務を進めていく重要性が高まる中、異国の宣教師たちが異文化を乗り越えて作り上げてきた立教大学であるからこそ、生まれた学部プログラムといえる。同学部では、同じ聖公会の米国コロンビア大学大学院ティーチャーズ・カレッジ修士課程で英語教授法を修めた鳥飼玖美子(立教大学名誉教授)が教授を務め、日本の英語教育の最前線を担う第一人者として英語教育の進展と拡充に尽力した。
立教大学の英語教育は、淵源である幕末の長崎の私塾から続く長きに渡る伝統と歴史を持ち、明治維新で活躍した外交官や通訳を始め多くの人材を輩出してきたが、ジョン・リギンズは、1860年(万延元年)に長崎で日本の先駆けとなる英学会話書の『英和日用句集』を執筆し、現行のローマ字綴りを編み出すなど、その後の日本の英語教育に大きな影響を与えた。近年では2006年に開設された経営学部においてNHK・EテレやNHKラジオでも活躍する松本茂(立教大学名誉教授)が教授を務め、グローバル教育センター長も歴任した。 アメリカ研究の機関として1939年に日本で最初に設立された「アメリカ研究所」は、立教大学の最初の研究所でもある。日本のアメリカ文学研究の基礎を築いた高垣松雄の尽力により開設された。設立以来、定期刊行物の発行、研究会や講演会の開催に加え、図書の収集・公開を通して日本におけるアメリカ研究を支援している。近年ではアメリカ先住民研究の第一人者である阿部珠理(立教大学名誉教授)が所長を務めた。また、1963年設立の「ラテンアメリカ研究所」は、ラテンアメリカに関する総合的な研究と、研究者、関連分野で活躍する人材の育成を行う。特に「ラテンアメリカ講座」は日本の大学教育に欠けていた社会教育の場を提供し始めた日本における市民講座および公開講座の草分け的な存在で、1964年4月から半世紀以上に渡り開講されている。これは「開かれた大学」として大学教育を広く社会に提供することを早くから目指してきた立教大学の姿勢を示すもので、通年で12科目を開講している。中でも多岐の分野を扱う「ラテンアメリカ論」や語学科目の「ラテンアメリカスペイン語」は毎年多くの受講生を集めている。 上記に加え、社会に開かれた大学として、「科目等履修生制度」を設けており、多くの学部で開講されている科目を履修することができる。1978年には受験生向けのオープンキャンパスを日本の大学で初めて開始した。生涯学習としては、50歳以上のシニアのための「立教セカンドステージ大学 (RSSC)」が設置されている。 法学部は、日本国憲法の制定に深く関わり、憲法学の権威である宮澤俊義が、末延三次らと創設に尽力し、初代学部長を務めた学部である。『平和と秩序への叡智』の探究を教育と研究の基本姿勢とし、法学部創設時の宮澤の思いを受け継いでいる。1973年には、丸山眞男と柳田國男の門下生で、学部創設時から教授を務める神島二郎(立教大学名誉教授、日本政治学会理事長)が学部長となった。
法学科、政治学科、国際ビジネス法学科の3つの学科で構成され、1978年には昼間部総合大学で日本初となる社会人入試を開始した。学科間の垣根が低いことが特徴で、法学と政治学を一つの学部で学ぶことができる。法学科には、法曹を目指す学生をサポートする法曹コースがある。また、公務員を目指す学生をサポートするために、公務員の職務内容や職業としての魅力を知ることができる講義や、行政が抱える課題に学生自らが解決案を企画、提案するなどの正課科目プログラムが用意されている。OB・OGをはじめとする現職の公務員との交流の場を設けるなどキャリア支援も行っている。2022年4月には、国際ビジネス法学科内にグローバルコースを開設した。
宮澤俊義の蔵書は「宮澤俊義文庫」として立教大学に寄贈され、約9,000冊の旧蔵書は複本として学生たちにも利用されている。図書と共に保管されてきた日本国憲法起草に関する原稿・草案・メモ・ノートなどは、学外も含めた研究者に利用されており、憲法制定にいたる経緯が分かる貴重な資料となっている。
法学部が創設される前の昭和初期にも、既に法学の教授陣が経済学部を主として多数在籍するなど法学部に伍する充実した陣容を擁しており、中村進午(一橋大学名誉教授)が憲法、国際法、法学通論、中野登美雄(早稲田大学第5代総長)が行政法、竹田音治郎と内山良男が民法、三橋久美が商法、江利喜四郎が刑法、中根不覊雄が信託法、手形法、破産法、法学通論、渋沢栄一の子である星野辰雄が労働法制を講じている。 経済学においては、経済学部経済学科では基礎理論を学び、経済の本質を見極める力と、事象を定量的に把握する統計分析力を身に着け、時代の動きを読み、問題解決していくことができる人材を育成する。経済政策学科は、理論に加え、金融政策や都市政策、産業政策、環境政策など、社会を動かす政策を専門的に学び、社会問題を解決する政策立案力を培う。卒業後、公務員に加え、民間企業やNPOなどの立場でも活かせる公的視点も得ることができる。会計ファイナンス学科には、公認会計士、税理士、証券アナリスト、ファイナンシャル・プランナーなどを目指す学生のために、資格取得を支援するカリキュラムが用意されている。多くの顕学が教鞭を執ってきたが、経済史では開拓者の滝本誠一、財政学では地方財政学の権威である藤田武夫が講じ、能率の父として知られる上野陽一(日本初の経営コンサルタント)も学部長を務めた。社会学部産業関係学科(現・経営学部の前身の一つ)では、日本を代表する自由主義経済学者である西山千明が1962年から教授を務め、日本におけるマネタリズムの樹立や自由主義経済の拡充につくした。(新自由主義、マネタリズムを参照) 社会学部は、社会学科、現代文化学科、メディア社会学科の3学科からなる。1947年に文学部社会科が設置され、1949年には文学部社会学科となる。1958年に淡路円治郎(立教大学名誉教授、労務管理学の権威)によって社会学部が設置され、初代学部長を務めた。日本で世論調査を初めて行った第一人者で、日本の新聞学とマスコミュニケーション研究の基礎を築いた小山栄三も教鞭を執り、1960年には学部長を務めた。2016年には、国際社会コースが設置され、本コースは学部英語科目を中心に3学科横断で専門科目を履修するカリキュラムとなっている。 心理学の分野も歴史が古く、1894年(明治27年)には日本の心理学の基礎を築いた松本亦太郎(日本心理学会創設者・初代会長)が教授として講じた。1933年(昭和8年)には、米山梅吉が次男の母校であった立教大学に寄贈して、心理学実験室が建設されている、ルーツは立教大学の前身の一つである立教学校に遡り、明治期の学校創生期から続く教育の伝統を受け継いでいる。1967年に、社会学部観光学科を設置。この観光学科は、立教大学教授であった野田一夫が設立に尽力し、初代学科長を務めた。1998年には観光学科を改組し、日本初の観光学部と大学院に観光学研究科を開設した。2000年代には、JTB会長の舩山龍二やホテルニューオータニ総支配人であった甲田浩らが教授陣を務めるなど、観光業界の第一人者たちが教鞭を執っている。2022年と2023年には、星野リゾート代表の星野佳路が「宿泊産業演習」のゲスト講師として講義を行った。観光学部は観光ビジネスや地域振興を創出する人材の育成を目的とするが、全米で名門として知られるコーネル大学のホテル経営学部と同様に、卒業生には老舗ホテルや旅館の経営者も多い。特に、日本を代表するクラシックホテルの多くで立教卒業生が経営に携わっている。(立教とクラシックホテルを参照)
観光学部では学部独自のインターンシッププログラムも充実しており、国内プログラムのほか、台湾の高級ホテルでの6か月間の長期インターンシッププログラムや、アメリカフロリダ州のディズニーワールドでインターンシップ(半年間)を経験しながら、週1日セントラルフロリダ大学ホスピタリティ経営学部で学ぶ海外プログラムもある。 2021年には金沢大学と観光産業分野の中核人材育成のため、連携・協力に関する協定を締結した。また、地域活性化の一環で、まち歩きマップの制作なども行っている。(まち歩きマッププロジェクトを参照)

■ 理工学分野
理工学分野では、理学部の研究グループがJAXAのプロジェクトに参画し、小惑星探査機「はやぶさ2」に搭載した光学航法カメラの開発・運用や、2023年9月に打ち上げられたX線分光撮像衛星(XRISM)の観測装置を開発するなど宇宙関連の研究開発を進めている。理学部物理学科には宇宙物理学を専門にしている教員が多く在籍し、「素粒子・原子核」分野と「宇宙物理」の分野では、世界トップレベルの研究を行っている。論文の被引用数も多く、質の高い研究力によって世界における立教大学のプレゼンス向上に大きく貢献している。同年には、理化学研究所や物質・材料研究機構などとの共同研究により「偽造不可能なマイクロ光認証デバイス」を開発したほか、生命理学科教授の末次正幸が2017年に開発した、細胞を使わずに長いDNAを効率的に合成する世界初の技術「セルフリー長鎖DNA合成技術」が、バイオ医薬の分野で革新的変化をもたらす研究として、「バイオインダストリー奨励賞」を受賞した。本技術を実用化する目的で大学発バイオベンチャー企業が設立された。(大学発ベンチャーを参照)
2021年には「金属クラスターを用いた近赤外-可視光変換」に世界で初めて成功し、太陽電池や光触媒の効率を向上させる実用的な光アップコンバージョン材料としての利用が想定されるなど、産業界への貢献が大きく期待される成果を上げている。2023年には、神戸大学との共同研究で、人工光合成技術において希少金属を使用しないCO2変換法を開発し、カーボンニュートラル実現に向けてブレイクスルーとなる技術革新の成果を上げた。
また、新型コロナウイルスの変異株の感染メカニズムを解明するため、理化学研究所のスーパーコンピュータ「富岳」を用いたシミュレーションに、理学部の研究グループが取り組んでいる。2020年度には「富岳」の優先的な試行的利用として「新型コロナウイルス関連タンパク質に対するフラグメント分子軌道 (FMO) 計算」を行い、研究成果を公開するなど活躍している。 理学部全体としても、理化学研究所や産業技術総合研究所といった国内トップクラスの研究機関と密に連携を図る「連携大学院制度」を導入している。産官学連携により研究を高度化・多様化させながら、次代の研究者である学生を育成している。大学院理学研究科生命理学専攻博士後期課程では、世界で初めて動物が言葉を話すことを解き明かした、動物言語学の第一人者である鈴木俊貴を輩出している。 大学院理学研究科では、順天堂大学大学院医学研究科と協定を締結し、医学物理士養成プログラムである医学物理学副専攻を設置している。 立教大学の理系教育の淵源は、1859年(安政6年)に来日したジョン・リギンズとウィリアムズが、初代米国総領事タウンゼント・ハリスの支援のもと長崎奉行の要請から開設した聖公会の長崎私塾に遡り、数学を含む英学を教えた。こうした学校創設以来の長い伝統を有し、現在の理学部へと続いている。1891年(明治24年)には、日露戦争でバルチック艦隊の発見を通報し勝利に貢献した三六式無線電信機を開発した木村駿吉(木村芥舟の三男)が教頭として教えた。立教大学の前身の一つである大阪・英和学舎では、1884年(明治17年)に、日本の近代昆虫学の基礎を築いた先覚者で「日本昆虫学の祖」と称される松村松年(北海道帝国大学名誉教授)が学んだ。松村は昭和に入り立教学院校友会及び立教学院後援会で顧問を務めた。 大学には現在、工学部は設置されていないが、戦時期に文部省の方針もあり、1944年に理工系教育強化のため「立教理科専門学校」を開設。この理科専門学校は、曾禰武(立教大学教授、後の開成中学校・高等学校校長)が主幹となって創設され、数学科に藤原松三郎、化学科に久保田勉之助、地質学科に矢部長克と、各学界の泰斗を招聘し、曾禰は物理学科を担当し同校の教頭を務め、理学部の礎を築く。翌年には「立教工業理科専門学校」と改組し、工科も合わせた教育機関となった。戦後の1948年には、医学部創設のための前段として設置された理学部へと改組し受け継がれた。理学部の創設には、理化学研究所の仁科芳雄と並び「日本の現代物理学の父」といわれる杉浦義勝が中心メンバーとして尽力し、初代学部長となり、同年には理論物理学研究室も発足した。ほどなくして湯川秀樹と坂田昌一の共同研究者であった武谷三男も着任し、日本の素粒子物理学界をリードしていく。武谷は1957年には、総長であった松下正寿が誘致した原子力研究所(2001年原子炉運転停止、廃止措置中)の設立にも尽力し、研究所長には中川重雄が就いた。武谷、中川とともに、原子力に関する日本最初の教科書である『原子力―教養の科学』を執筆し、長きに渡って原子力と平和利用の研究に従事した田島英三(立教大学名誉教授)は、1956年に教授職と兼務で原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)初代科学担当官に就き、日本人として初の国連職員を務めている。
また、大学には農学部も設置されていないが、明治期の第2次立教学校(1890年10月-、現・立教大学)では、創立から聖公会と関わりが深い札幌農学校(現・北海道大学)出身の農学者である河村九淵が教えた。その後、河村は立教学校の姉妹校である聖公会系の奈良英和学校で校長を務めたのち、熊本農業学校(現・熊本県立熊本農業高等学校)初代校長に就任するが、後に農聖と称される松田喜一を育てている。奈良英和学校では札幌農学校(現・北海道大学)第1期生でクラーク博士の「Boys, be ambitious (青年よ、大志を抱け)」の言葉を後世に残す上で大きな役割を担った大島正健も校長を務めた。また、前述の立教理科専門学校(1944年開設)の設立構想を提出した際には、農学部の設立構想も提出されている。

■ AI研究(人工知能科学研究科)
2020年4月に開設された人工知能科学研究科では、人工知能・データサイエンスを、人文・社会科学を含む全ての学術分野と掛け合わせることで、社会課題の解決やビジネスチャンスを生み出す力を育成する。これまでの技術ではなしえなかった新しい方法で未来を切り拓き、誰もが快適で活力に満ちた社会の実現に貢献することを使命としている。昼夜開講制で社会人が学びやすい。文系、理系、学部4年生、社会人を問わず、学生が集まり、1期生では社会人が約7割を占め、会計士や弁護士、医師、シンクタンク、マスコミ業、金融業、中学校の教員など多様な人材が集まった。
2022年2月から4月にかけて、NTTPCコミュニケーションズと東京電機大学の協力のもと、未来のAI業界を担う大学生・大学院生に向けて、AIの社会・ビジネス実装に関する実践的な「学びの場」を提供するための産学共創イベントである「AIイノベーションアワード2022」を開催した。業界をリードするAI企業による「学生向けAI企業セッション」プログラムに加え、AI企業各社および大学から出題されるテーマに学生が取り組む「ビジネスアイデア&プログラミングコンテスト」が行われ、最優秀賞受賞チームに賞金100万円、優秀賞受賞チームに賞金30万円が贈られた。

■ 大学院特別進学制度、5年一貫プログラム
5年で修士号が取得できる制度として、経済学部、法学部、観光学部には「大学院特別進学制度」があり、経営学部と異文化コミュニケーション学部には「5年一貫プログラム」が設置されている。それぞれ、大学院の講義を4年次から1年間受講してから、学部卒業後に大学院の前期課程(修士)を1年で修了する制度となっている。多くの場合、学部入学後に実施される選抜試験を通過することでプログラムを履修することが可能だが、異文化コミュニケーション学部の「5年一貫プログラム」の場合は、学部入学前の入試によって選抜する方式も実施している。

■ Global Liberal Arts Program (GLAP)
2017年に開設されたGLAPは、人文科学、社会科学、自然科学など、リベラルアーツを英語で学習し、世界で活躍するグローバルリーダーを育成する国際教養学部相当のプログラム。原則英語のみの授業で学位取得が可能となっている。これらは明治期に開設した立教大学校。

■ アントレプレナーシップ教育
経営学部、多くの起業型経営者が師と仰ぐ野田一夫が経営概論を教え、ゼミでは現代産業企業論としてベンチャー企業の育成を教えた。ゼミの授業では、毎週当時のベンチャー企業経営者を呼んで、ケーススタディを行っていたが、その経営者の中には、ソフトバンクの孫正義、パソナの南部靖之、ぴあの矢内廣などがいた。 野田は、当時の大学教授としては珍しく、コンサルタント業を営み、ニュービジネス協議会の初代会長も務めるなど、学生だけでなく当時のベンチャー企業経営者の多くが野田の指導を受けていたのである。授業で行っていたケーススタディもMBAビジネススクールでは一般的な教育プログラムであるが、当時の日本の大学の学部教育においては画期的なものであった。こうしたアントレプレナーシップ(起業家精神)教育は、1980年代初頭当時の日本ではどこも行っておらず、野田の授業は、日本のアントレプレナーシップ教育のさきがけであった。
また、野田は、ピーター・ドラッカーを日本へ紹介した人物としても知られ、立教大学に赴任した翌年の1956年にドラッカーの『The Practice of Management 』を翻訳し、『現代の経営』を出版し、日本の経営者たちに大きな影響を与えることとなった。その後も野田はドラッカーと深い親交を持ち続けた。 野田はドラッカー学会の顧問を務めたが、同会で学術顧問を務める一橋大学名誉教授の野中郁次郎は、ドラッカーの功績の一つとして「マネジメントとはリベラル・アーツなのだ」と提唱したことを挙げ、マネジメントを教養と捉えている。立教大学の教育の根本はリベラルアーツ教育であるが、ドラッカーのいうマネジメントを学ぶことはリベラルアーツを学ぶことに他ならないといえる。経営学部国際経営学科では、野中郁次郎の下で学んだ西原文乃が2016年から教鞭を執り、野中が提唱した組織的知識創造理論を継承・発展させ、新たな価値を創造するプロセスや仕組みと価値創造を駆動するリーダーシップやアントレプレナーシップに関する研究を行っている。
野田が創った立教大学のアントレプレナーシップ教育は、現在の経営学部を中心とする経営学教育にも受け継がれ、若手の起業家やベンチャーキャピタリストを生んでいる。野田は教授を務めた社会学部産業関係学科の後身となる経営学部において、リーダーシップ論などの授業で度々ゲストスピーカーとして講じた。
また、2000年には米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツに名誉博士号を授与し、大学のタッカーホールでゲイツによる立教学院創立125周年記念特別講演が開催されている。

■ ドラッカー研究
ピーター・ドラッカー研究では、立教大学経済学部教授であった三戸公が1971年に『ドラッカー 自由・社会・管理』を出版し、ドラッカー理論体系を包括的な理論として再構成する画期をなす研究を行った。三戸は、藻利重隆(一橋大学教授)による企業管理論としての最初の体系的なドラッカー研究と、岡本康雄(東大教授)が行った初期のドラッカーにまで遡って探究する産業社会論アプローチに、規範論としての自由論を加えることで、ドラッカー理論は規範・理論・政策という統合的・包括的理論体系の「グローバルな理論」へと展開されていくこととなった。また、三戸は1970年代には、院生たちとドラッカー著作の外書輪読を行い、その成果を1979年に『ドラッカー 新しい時代の予言者』として出版し、近年2011年には『ドラッカー、その思想』を出版するなど、永きに渡り真摯に研究を進めた。

■ 新自由主義、マネタリズム
社会学部産業関係学科(現・経営学部の前身の一つ)では、シカゴ大学大学院でフリードリヒ・ハイエク(ノーベル経済学賞受賞:1974年)に学んだ西山千明(経済学者)が、1962年から母校である立教大学の教授を務めた。西山はハイエクの著作群を監修・監訳し、日本へ紹介した人物として知られ、友人であるミルトン・フリードマン(ノーベル経済学賞受賞:1976年) の『選択の自由』の翻訳を手掛けるなど「シカゴ学派」や「マネタリズム」を日本に紹介し、日本における「新自由主義」の思想の普及と自由主義経済の拡大に大きな貢献を行った。
西山は1962年に米国から帰国してまもなく、自身が中心となって運営する立教大学近代経済学研究会の主催で、1962年11月から1963年6月まで立教大学の学生を主な対象として初心者のために近代経済学全般を解説する「第一期理論経済学セミナー」を開催したが、フリードマンも講師として特別講演を行った。フリードマンが講演した「貨幣理論の現状」は彼自身の講演による「マネタリズム」の日本初上陸であり、このセミナーの成果は講義の速記録が加筆、編集され、1964年に『近代経済学講義』として出版され、近代経済学を体系的に解説する日本語による教科書のさきがけとなった。 また、西山が所長を務める立教大学近代経済学研究機構には、「明治以降本邦貨幣基礎統計資料整備委員会」があり、フリードマンが顧問を務めた。貨幣委員会の作業報告会にはフリードマンも参加しゼミ生の指導を行った。
1963年には、ノーベル経済学賞受賞(1976年)でフリードマンの業績が世界的に評価されるのに先駆け、フリードマンに立教大学から名誉博士号が授与され、翌1964年にはハイエクに名誉博士号を授与されている。
西山が日本で普及した新自由主義の思想は、中曽根政権の「民活プロジェクト」や、三公社(専売公社、国鉄、電電公社)民営化、橋本政権の「金融ビッグバン」、小泉政権の「聖域なき構造改革」による規制緩和、郵政・道路四公団民営化が進められた経済政策の背骨となり、長らく日本政府の経済政策を支える理論として、大きな影響を与えた。また、「ケインズが20世紀前半の最も影響のある経済学者だったとすれば、フリードマンは20世紀後半の最も影響のある経済学者である」と言われるなど、今日も世界の経済学者から高い評価を得る。

■ データサイエンス教育・研究推進


◇ 社会情報教育研究センター (CSI) :大学内でデータサイエンス教育・研究の中枢を担う社会情報教育研究センター (CSI)では、調査 (Research)・情報 (Information)・統計 (Statistics) という3つのスキルを活用した教育研究活動を行い、「データサイエンス力の高い人材育成」と「データリテラシー高度化支援」を全学的に展開している。統計・社会調査系科目の提供や社会調査士資格取得支援に加えて、統計学習コンテンツ・ソフトウェア開発や調査・研究コンサルティングを行い、さらには統計関連セミナーを開催している。後述のデータサイエンス副専攻への科目提供も行っている。また、既存データの利活用支援として、全国の大学・研究機関で実施された学術的かつ統計分析可能な社会調査データを収集・整理・保存し、「立教大学 社会調査データアーカイブ RUDA(ルーダ)」 として公開するとともに、公的統計情報の二次的利用支援も行っている。

◇ データサイエンス副専攻 :グローバル人材に求められるデータ活用力やIT技術を身につけることを目的として、社会情報教育研究センター (CSI) が提供母体となり、2018年に開設された全学部生対象のプログラムで、グローバル教養副専攻のテーマの一つになっている。具体的には、日本における調査の仕組みや公的統計の利活用を学ぶ科目群、統計学や調査理論、多変量解析、データ分析実習系科目からなる科目群、さらに英語で展開される科目群で構成され、それぞれの科目群は基礎系科目と先端系科目に分類され修了に必要な単位数が設けられている。

■ ESD研究、SDGs、地域創生


◇ ESD研究所 日本初のESD(Education for Sustainable Development)研究機関として、2007年に「立教大学ESD研究センター」として設立され、国内およびアジア太平洋地域におけるESD、即ち「持続可能な開発のための教育」の普及に努め、国内外におけるハブとしての役割を担ってきた。2012年には「立教大学ESD研究所」と名称を変え、日本におけるESDの第一人者である所長の阿部治のもとで実践的な調査・研究を展開し、多くの成果を上げてきた。2015年には文部科学省私立大学戦略的研究拠点形成事業にESDによる地域創生研究拠点として採択され、持続可能な地域創生を果たす人材育成の研究に取り組んでいる。2021年度からは、上田信が所長に就任し、SDGs(Sustainable Development Goals)への取り組みに研究所としても一翼を担うべく、地域連携を強化し、新たな事業展開を推進する。2022年8月には、対馬市、羅臼町、飯田市、檜枝岐村に加え、新たに松崎町と覚書を交わし、地域創生を学ぶ学生たちとともにフィールドワークを行い、研究活動を進めている。

◇ まち歩きマッププロジェクト 地域活性化では、観光学部で地域のまち歩きマップ「ぶらってシリーズ」を制作し、学生が地元民への調査で発掘した穴場スポットを学生ならではの目線で紹介し、街の魅力を発信している。"まち歩きマップ"プロジェクトは、武蔵野銀行との産学連携で進められ、これまでに幸手市、羽生市、行田市、加須市、氷川参道、新座市、小鹿野町、秩父市、川越市、草加市の10つの地域版(2023年5月現在)が作られている。
沿革 ■ 略歴
西暦597年、ローマから英国(イングランド)に派遣されたオーガスティンが、初代カンタベリー大司教(大主教)に着座したことを淵源の一つとする英国国教会(イングランド国教会)の流れを汲む大学である。さらに、文部省が理工系の教育を拡充して戦時体制に即応しようと、文科系の大学に対して理工系への転換、移転整理等を進める方針を出した。そのため、1943年(昭和18年)12月に文学部を閉鎖することとなり、文学部の学生は慶應義塾大学へ編入し。 終戦を迎え、1945年(昭和20年)10月15日に、ダグラス・マッカーサー連合国最高司令官(米国聖公会信徒)の命で「文部省訓令第8号」が発布し、1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法とともに「信教の自由」が保障される。これにより、国内においてキリスト教精神に基づくリベラルアーツ教育が正式に認められることとなる。GHQにより、第二次世界大戦中にキリスト教主義学校としての特色を一掃し、職員の追放、教課の改廃を行い、戦後も回復の手段を講じなかったとして、当時の総長、中学部校長、学生監ほか8人が即時解職、公職追放処分を受けた。理事会は新体制となり、寄付行為も「基督教主義ニヨル教育」に復帰することを可決し、チャペルも再開される。同時にポール・ラッシュにより大学の再生が進められ、拡張計画が作られた。
・ 1834年(天保5年)- 米国聖公会国内外宣教協会が東アジア、東南アジア地域への宣教ミッションの派遣を決定。
・ 1842年(天保13年)- ブーンが、廈門(アモイ)で中国伝道を開始。ペリー艦隊来航時の日本側通訳となる森山栄之助も学ぶ。(日本最初のネイティブの英語教師)
・ 1850年(嘉永3年)- 立教大学創設者チャニング・ウィリアムズがウィリアム・アンド・メアリー大学に入学。
・ 1852年(嘉永5年)- チャニング・ウィリアムズ、ヴァージニア神学校に入学。
・ 1853年(嘉永6年)
 ・7月 - マシュー・ペリー(米国聖公会信徒)が浦賀に来航。サミュエル・ウィリアムズが主席通訳官として帯同。
 ・ 秋 - 初代海外伝道主教のウィリアム・ブーンが母校のヴァージニア神学校を訪れ、チャニング・ウィリアムズは海外伝道を決意する。
 ・ 6月29日 - リギンズとチャニング・ウィリアムズがアレクサンドリアのセント・ポール教会で執事に按手される。
 ・ 8月21日 - タウンゼント・ハリス(米国聖公会信徒)が初代米国総領事として下田に来航。
・ 1858年(安政5年)
 ・ 2月13日 - ブーンが函館に寄港した米国軍艦ポーツマス号の海軍士官が前年10月3日に書いた日本伝道を勧める手紙を上海の宣教師から受け取り、全文を翌3月発行の米国聖公会機関紙に寄稿し、日本伝道開始を要請。これにより、米国聖公会の日本伝道熱が高まり、ニューヨークの聖マルコ教会を始め、各地から日本伝道のための献金が米国聖公会内外伝道協会本部に集まる。調印はポウハタン号の艦上で行われた。
 ・ 8月 - 幕府が長崎奉行に命じ、長崎英語伝習所が設立(旧暦7月)。
 ・ 9月10日 - 米国軍艦ポウハタン号付きの牧師ヘンリー・ウッドが来日。長崎奉行の要請によりジョサイア・タットノールから任命を受けたウッドは、英語学校を開設し、長崎通詞に2か月間英語教育を行う。活動には米国総領事ハリスのサポートがあった。
 ・ 2月 - 米国聖公会は、日本が開国する状況下、米国聖公会内外伝道協会外国委員会で日本ミッション開設を決議。
米国聖公会宣教師として1856年(安政3年)より中国・上海で活動するジョン・リギンズ、チャニング・ウィリアムズおよび医療宣教師の日本への派遣を決定。
 ・ 4月下旬 - タウンゼント・ハリスが長崎を訪問。既に何人かのアメリカ人商人が長崎で開業していた。(日本で最初のプロテスタントミッションで、クリストファー・ホジソンが初代英国長崎領事を務める。英国の初代函館領事に任命されていたホジソンは、長崎領事に就任予定のジョージ・モリソンの到着が遅れたため、函館赴任の途中で長崎に滞在し英領事事務取扱として就任。
 ・ 8月6日 - ジョージ・モリソンが長崎に到着し、妙行寺に置かれた英国領事館で長崎英国領事として職務を開始。
 ・ 9月19日 - トーマス・グラバー(聖公会信徒)が長崎に来日。グラバーは、リギンズやウィリアムズの両宣教師などによって私邸や英国領事館(妙行寺内)を使って始められた外国人のための礼拝に参加する。
 ・ 12月 - 長崎米国領事館の建物が火事にあい、ウォルシュは東山手十二番館の自宅を領事館として使用。
・ 1860年(万延元年)
 ・ リギンズが日本の先駆けとなる英学会話書の『英和日用句集』を執筆し、現行のローマ字綴りを編み出す。スミスは5月15日まで滞在するが、ウィリアムズの住む崇福寺に滞在。
 ・ 8月 - 米国聖公会宣教医ハインリッヒ・シュミットが長崎に来日。診療所と私塾を開設し、医療活動および医学、英語教育を行う。
・ 1861年(文久元年)
 ・ 4月 - アメリカ南北戦争開戦。1865年4月の終戦までの間は、米国人は日本伝道への母国からの援助が途絶え、米国宣教師たちの一部は退職の余儀なきに到った。
・ 1862年(文久2年)
 ・ 5月 - 高杉晋作がウィリアムズから政治制度や国際情勢を学ぶ。この時期、長崎で英会話の勉強もしていたとされる。
 ・ この年より大隈重信、副島種臣、前島密らがウィリアムズの私塾で英学を学ぶ。
 ・ 8月 - 英国聖公会のマイケル・ベイリーが来日し、横浜英国領事館のチャプレンに着任
 ・ 10月26日 - 長崎・山手居留地内(東山手11番地)に外国人のための英国聖公会会堂(日本で最初のプロテスタントの教会)が完成。ウィリアムズが教会の初代チャプレンとなる。
 ・ 12月 - 長崎奉行の要請もあり、幕府の長崎洋学所でウィリアムズとフルベッキが英学を教える。
 ・ 9月 - 同じくウィリアムズ門下の瓜生寅と前島密が、何礼之の許可を得て、苦学生のために私塾「倍社」をフルベッキが以前寓居していた崇福寺広福庵に開く。
 ・ 何礼之の私塾が、長崎奉行から支援を受けて塾舎を新設。準官立となり、塾生は百数十名を数えた。藍田はウィリアムズの私塾で学ぶ大隈重信と会い交遊していく。
 ・ 3月 - ウィリアムズ、米国へ帰国の途に就く。
 ・ 10月3日 - ウィリアムズ、米国聖公会第2代中国・日本伝道主教に任命される。
・ 1868年(慶応4年、明治元年)
 ・ ウィリアムズは再び清に渡り、湖北省武昌に拠点を置き、伝道の旅を続ける。
 ・ ウィリアムズの盟友であるフルベッキが長崎の佐賀藩英学校「致遠館」で英語を教え、教え子の大隈重信が教頭格、副島種臣が舎長(督学)として指導にあたる。
 ・ 11月 - ウィリアムズが住む場所を探すため大阪を訪問。
・ 1870年(明治3年)
 ・ 1月 - ウィリアムズが大阪・川口の与力町に礼拝堂(ストリート・チャペル)を設置)が日本へ派遣する宣教師に任命される。
・ 1871年(明治4年)
 ・ 5月 - モリスが大阪に到着。
 ・ 3月4日 - 閉鎖していた大阪・古川町の私塾を改称し、聖テモテ学校が開校(モリスが初代校長)。
 ・ クレメント・T・ブランシェ(Clement T. Blanchet)が日本へ派遣する宣教師に任命される。
初代校長はクレメント T. ブランシェ。
 ・ 4月末または5月初め - アメリカ公使館が築地居留地1番・2番・21番・22番で構成される地所(現在の聖路加ガーデンの場所)に開設。
 ・ SPGのアレクサンダー・クロフト・ショーが福沢諭吉家の家庭教師になり、慶應義塾の英語教師となる。
 ・ ウィリアムズ、この年に初代日本伝道専任主教となる。
 ・ 9月 - エディの学校が照暗女学校(のちの平安女学院)と改称。
 ・ 12月 - アメリカ公使館が築地居留地(現在の聖路加ガーデンの場所)で新築し形容を整えた。
 ・ 2月3日 - 風雲館において第六回目の演説会が開かれ、浦谷義春の「自由論」をめぐってその後論争となる。
 ・ 9月 - 英国聖公会宣教協会(CMS)のハーバート・モーンドレルが長崎東山手居留地に長崎神学校(日本最古のプロテスタントの神学校)を開設。
 ・ 12月13日 - ティングが大阪に到着し、モリスに迎えられる。
・ 1879年(明治12年)
 ・ 2月3日 - モーンドレルが長崎出島教会に隣接する出島10番・11番に「出島・英和学校」(小学科、英語塾、裁縫塾)を開く。 イライザ・グッドオールが校長兼教師。英語・裁縫を教える、同校で教える。米国聖公会から新大学校舎の建設費を支出するとの連絡があり、この土地にアメリカのカレッジのようなキャンパス施設群を計画。
・ 1881年(明治14年)
 ・ 1月 - 大阪・英和学舎で学則改正と学課増設が行われる。
 ・ 6月 - 立教学校の英称を「St. Paul's School」とする。大学校内に三一神学校を併置。大学校の傍らに築地1丁目の旧校舎も移されて舎監兼食堂となる。
 ・ 4月20日 - マーサ・アルドリッチにより姉妹校の静修女学校が開校。
 ・ 5月16日 - ウィリアムズが大隈重信が尽力して予備地を造成するに至った築地居留地53番、54番、55番、56番を競売により取得。
・ 1893年(明治26年)
 ・ 6月 - ジョン・マキム、ウィリアムズの後任の米国聖公会日本伝道主教となる。総計約2万1476平方メートル、築地居留地全体の約22.2%を聖公会の土地とし、立教関係の建物が立ち並ぶ築地キャンパスへと繋がっていく。
・ 1895年(明治28年)
 ・ 1月 - 奈良英和学校を奈良尋常中学校と改称し開校。
 ・ 3月 - 立教学校文学会機関誌『八紘』発刊(1897年まで)。
 ・ 12月 - 立教尋常中学校寄宿舎竣工(築地居留地59番、60番)。
・ 1896年(明治29年)
 ・立教尋常中学校校舎(六角塔)竣工(築地居留地57番、58番)。
・ 1897年(明治30年)
 ・ 9月 - 東京英語専修学校を神田錦町に開校(1903年閉校)。立教学校ミッションを結成(翌年3月から機関誌『築地の園』創刊)。
 ・ 10月 - 牧師の左乙女豊秋が日本人初の4代目校長として就任。
・ 1898年(明治31年)
 ・ 5月 - 京都市にガーディナー設計の聖三一大聖堂(現:聖アグネス教会)が完成する(平安女学院京都キャンパス内に所在)。
 ・ 10月 - ジョン・マキム主教により献堂式が行われる。
 ・ 11月 - 立教尋常中学校に文武会成立。
・ 1899年(明治32年)
 ・ 1月 - 同年7月の改正条約の発効に先立ち、立教尋常中学校の認可申請を行うが、許可がすんなり得られず、島田三郎(早稲田大学創設メンバーの一人、衆議院議員、のち第19代衆議院議長)らの尽力で認可を得る。
 ・ 2月 - 中学校令改正にともない、立教尋常中学校を立教中学校と改称。
 ・ 9月 - 立教学院成立。アーサー・ロイドが総理に就任。ロイドはマキムと共にミッションスクールでの宗教教育を禁じる文部省訓令第12号に対処し、学校を存続させる。
 ・ 10月 - バージニア大学とバージニア神学校で学んだヘンリー・セントジョージ・タッカーが来日。
・ 1900年(明治33年)2月2日 - ジョン・マキムの米国聖公会本部への要請が実り、ルドルフ・トイスラーが夫妻で来日。
◎ 20世紀

・ 1901年(明治34年)
 ・ 2月2日 - 築地・聖三一大聖堂で英国ヴィクトリア女王の遥葬式を挙行。伊藤博文内閣総理大臣を始め閣僚、名士が参列。
・ 1903年(明治36年)
 ・ 4月 - タッカーが総理に就任。ロイドが小泉八雲の後任として、東京帝国大学英文学科で夏目漱石、上田敏とともに英文学を教える。
 ・ 東京英語専修学校が立ち退きを余儀なくされ閉校。
・ 1910年(明治43年)
 ・タッカーが大学移転用地として北豊島郡巣鴨村大字池袋(現:豊島区池袋)の土地1万7千坪を購入。
 ・ 12月 - ウィリアムズ永眠。
・ 1911年(明治44年)
 ・ 6月 - 東京三一神学校と聖教社神学校が合併し、聖公会神学院を設立。
 ・ 8月 - 財団法人日本聖公会教学財団設立。
・ 1912年(大正元年)
 ・ 予科を1年制とする。
 ・ 聖公会神学院の校舎が池袋に竣工。
 ・ 9月 - チャールズ・ライフスナイダーが総理に就任。
・ 1914年(大正3年)11月 - ウィリアムズの伝記『老監督ウィリアムス』を元田作之進が著し、早川喜四郎宅に置かれた京都地方部故ウィリアムス監督記念実行委員事務所より発行される。
・ 1915年(大正4年)4月 - 大学学友会結成。
・ 1916年(大正5年)5月29日 - 池袋キャンパスのチャペルの定礎式が行われ、レンガ校舎群の建築を開始。
・ 1917年(大正6年) - 文部省から医学部設立の要請があり、医学部開設の計画を進めるが、欧州での第一次世界大戦の影響から募金が集まらず、翌年2月12日に計画を断念し設置に至らなかった。
・ 1918年(大正7年)9月 - 北豊島郡西巣鴨町の新校地(池袋)に移転。本館、図書館、寄宿舎(現2号館、3号館)、食堂が竣工し、授業を開始。大隈の演説に続いて、金子堅太郎、渋沢栄一の演説もあった。
・ 1920年(大正9年)
 ・ 1月 - 立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパス)聖別式挙行。
 ・ 4月 - 文科を文学部、商科を商学部とし、予科を2年制とする。
 ・ ハロルド・スパックマンが教授及び新図書館館長に就任し、日本の大学で先駆けて図書館学を講じる。
・ 1921年(大正10年)
 ・ 6月 - 財団法人日本聖公会教学財団を財団法人聖公会教育財団と改称。
 ・ 10月 - 野球部、四大学野球連盟に加盟。
 ・ 校友会館が竣工(のちの診療所)。
・ 1922年(大正11年)5月 - 大学令による大学へ昇格。文学部(英文学科、哲学科、宗教学科)、商学部、予科を発足。
・ 1923年(大正12年)
 ・ 9月 - 関東大震災により築地校地が壊滅。池袋の大学も被害を受ける。
 ・ 10月 - 立教中学校が池袋の大学内に移転。大学は10月15日に、中学校は10月18日に授業再開。立教女学校(現:立教女学院)の校舎も焼失したため、池袋の立教大学内に学校事務所を設け、滝乃川学園の校舎にて授業再開。志成学校が震災による校舎倒壊により閉校。
 ・ 11月 - 震災で校舎を失った専修大学が池袋の立教大学内の7教室を借用(翌月22日まで)。
 ・ 12月11日 - 国際連盟立教大学支部の発会式が豊島師範講堂にて開催され、国際連盟事務次長の新渡戸稲造(札幌農学校2期生)が演説を行う。会場は満席で立錐の余地なく、聴衆約600名の共鳴と拍手喝采で満たされた。
 ・ 12月 - 築地訣別式を挙行。
・ 1924年(大正13年)
 ・ 4月 - 商学部に商学科と経済学科を設置。
 ・ 水泳部の斎藤巍洋が、パリオリンピックに出場。競泳男子100m背泳ぎで6位入賞。(立教初のオリンピック選手)
 ・ 11月 - この頃、立教幼稚園が築地にあった。
 ・ 校旗を制定する。
・ 1925年(大正14年)
 ・ 1月 - 総理を総長と改称、ライフスナイダーが初代総長に就任。
 ・ 4月 - 文学部に史学科を設置。
 ・ 5月 - ポール・ラッシュが関東大震災後のYMCA会館再建のため来日。
 ・ 9月 - 東京六大学野球連盟結成。
 ・ 秋 - 東長崎グラウンド開設(現在の都立千早高校の場所)。
 ・ バスケットボール部が全日本バスケットボール選手権大会で初優勝。
・ 1926年(大正15年)
 ・ 1月 - ライフスナイダー総長、「神と国との為に (Pro Deo et Patria)」と題する演説を行う。
 ・ 3月 - 校歌『栄光の立教』制定。
 ・ 5月 - 池袋に中学校の新校舎が完成し、落成式挙行。
 ・ ポール・ラッシュ、立教大学教授に就任。
 ・ J・H・モーガンの設計によるライフスナイダー館が竣工。
 ・ オルガン演奏の第一人者である木岡英三郎が、欧州から帰国直後の最初の演奏会を池袋キャンパス・チャペルで開催。
 ・ 12月 - 立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパス・チャペル)でガーディナー記念礼拝式が開かれる。同日記念銘板除幕式、図書館で肖像画(石橋和訓画)除幕式。
・ 1927年(昭和2年)
 ・ 4月 - 予科を3年制とする。
 ・ 11月 - ポール・ラッシュにより聖アンデレ同胞会を結成。
 ・ ポール・ラッシュが、慶應、東京商科(現・一橋)、明治、立教、早稲田の5大学で個別に活動していた英語会(ESS)の学生たちに呼びかけ、英語会大学連盟が設立される。
 ・ 11月1日 - ウィリアムズの記念碑が京都若王子山上教会墓地に建てられ除幕式が行われる。
・ 1931年(昭和6年)
 ・ 4月 - 商学部を経済学部に改称。
 ・ 8月 - 財団法人聖公会教育財団を分離し、財団法人立教学院(8月7日認可)と財団法人聖公会神学院を設立。立教学院の理事長にマキム、学院総長にライフスナイダーが就任。
 ・ 10月 - 野球部が六大学リーグ戦で初優勝。
 ・ 12月30日 - J・V・W・バーガミニー設計の宣教師館(のちの立教学院校宅11号館・12号館)が竣工する。
・ 1932年(昭和7年)
 ・ 4月7日 - 野球部がアメリカ遠征。7月2日まで試合を行う(10勝10敗)。5月10日にはニューヘイブンでアイビーリーグ優勝校のイェール大学と対戦。8-1で勝利。翌日には遠征のハイライトであるニューヨークへ移動し、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックが出席して歓迎会が開催された。
・ 1934年(昭和9年)
 ・ 10月28日 - ポール・ラッシュの尽力により、早稲田・明治と共に東京学生米式蹴球競技連盟を結成。初代理事長にラッシュが就任。
 ・ 8月 - 水泳部の田口正治と新井茂雄がベルリンオリンピック、競泳男子800m自由形リレーで世界新での金メダル獲得。
 ・ 10月5日 - 立教大学山岳部の登山隊(堀田弥一隊長、隊員計5人)が日本初のヒマラヤ遠征隊として、インド北部のナンダ・コート(標高6867メートル)に初登頂。
 ・ 10月26日 - 御真影を奉戴。
・ 1937年(昭和12年)
 ・ 3月 - J・H・モーガンの設計による予科新校舎(現:4号館)竣工。
 ・ 旧寄宿舎(現:2・3号館)を文学部と経済学部の研究室に転用。
・ 1939年(昭和14年)9月 - アメリカ研究所開設。
・ 1940年(昭和15年)
 ・ 2月 - 学位規則認可。
 ・ 8月 - 日米関係の悪化により8月から9月にかけて日本聖公会が米国聖公会からの経済的独立を決定。
 ・ 10月 - 上記影響より、ライフスナイダーが学院理事長・総長を退任し、総長事務取扱となる。後任の学院理事長に松井米太郎が就任。
 ・ 11月 - ライフスナイダーが総長事務取扱を退任。替わって遠山郁三・大学学長が総長を兼務した。翌年には、理事も全員邦人となる。
・ 1941年(昭和16年)
 ・ 6月 - 立教大学報国団結成。
 ・ 7月 - 本国政府の指示により米英人教員の帰国が相次ぐ。
 ・ 10月 - ライフスナイダーが米国へ帰国。
 ・ 12月 - 太平洋戦争勃発。翌年3月の卒業式を繰上げ挙行。大学・専門学校の修業年限を半年短縮。
・ 1942年(昭和17年)
 ・ 2月 - 遠山郁三の尽力により文部省へ医学部設置の認可申請を行い、5月に厚生省へも認可申請を行う。文部省の了承を得たが、聖路加の施設が戦時下の医療拠点として期待されていたことなどの阻害要因から厚生省の了承が得られず設置に至らなかった。
 ・ 6月 - 日本に最後まで留まっていたポール・ラッシュ教授が交換船により強制送還される。ラッシュは米国送還後、米国陸軍日本語学校に志願し日系2世兵を指導し、米国各地の教会で戦争後の日本救済への支援協力を訴えるため講演活動を行う。
 ・ 9月 - 理事会が寄付行為目的を「基督教主義ニヨル教育」から「皇国ノ道ニヨル教育」への変更を決議し、11月に申請(翌年2月15日認可)。戦後になって、準校歌は制定を解除され、校歌「栄光の立教」を再び斉唱できるようになった。
・ 1943年(昭和18年)
 ・ 1月 - 日本基督教団との合同の是非をめぐって日本聖公会は分裂し、約3分の1の教会が日本基督教団に加わる。八代斌助などの非合同派は単立教会として日本聖公会を守り通した。
 ・ 3月 - 学生有志6人が配属将校を呼び出して殴打する出来事(軍事教員を殴打した事件)がある。
・ 1944年(昭和19年)4月 - 立教理科専門学校設置。
・ 1945年(昭和20年)
 ・ 4月 - 理科専門学校を工業理科専門学校に改組。
 ・ 8月15日 - 終戦。
 ・ 9月 - 授業が再開される。
 ・ 爆撃を受けなかった立教大学の校舎を借りて、三井銀行を始めとする支店を焼失した5つの銀行が共同の仮店舗を開設。
 ・ 10月15日 - 「文部省訓令第8号」の発布。これによって1899年(明治32年)から存続し続けた「文部省訓令第12号」が無効になった。
 ・ 理論物理学研究室を開設。理学部教授に武谷三男が着任。
・ 1950年(昭和25年)4月 - 立教工業理科専門学校を廃止。
・ 1951年(昭和26年)
 ・ 4月 - 学校組織を財団法人から学校法人に改める。
 ・ 大学院を開設。
 ・ 5月 - 八代斌助が立教学院理事長に就任。
 ・ 12月 - 旧制立教大学閉学。アメリカンフットボール部が甲子園ボウル初出場、初優勝。
・ 1952年(昭和27年)
 ・ 5月 - 7号館開館。
 ・ 10月 - 博物館講座を開設。
 ・ 12月 - バスケットボール部が全日本大学バスケットボール選手権大会で初優勝。
・ 1953年(昭和28年)
 ・ 4月 - 大学院に原子物理学科新設。
 ・ 7月 - 8号館開館。
 ・ 8月 - 野球部が第2回全日本大学野球選手権大会で初優勝。
・ 1954年(昭和29年)
 ・ 1月 - サッカー部が、1953年度全日本大学サッカー選手権大会で初優勝。高林隆が活躍し優勝に貢献。日本代表にも選出。
 ・ 9月 - チャペル会館落成。
 ・ 11月 - サッカー部が関東大学サッカー1部リーグで初優勝。
 ・ 12月 - タッカーホール落成。
・ 1955年(昭和30年)4月 - 一般教育課程を一般教養部と改称。
・ 1956年(昭和31年)
 ・ 4月 - 文学部日本文学科を開設
 ・ 11月 - 板橋区と練馬区にまたがる土地を東京都から借り受け、セントポール・グリーンハイツ(総合グラウンド)竣工。
・ 1957年(昭和32年)
 ・ 5月 - 米国聖公会の寄付により原子力研究所設立(神奈川県横須賀市)。
 ・ 9月17日 - 立教大学芸術研究会がトリニティ・カレッジとの美術作品交歓展を企画開催(9月21日まで)。
 ・ 野球部が六大学リーグ戦で4連覇を達成。
・ 1959年(昭和34年)
 ・ 4月 - 総長である松下正寿の尽力により法学部を設置。5号館・6号館開館。
 ・ 4月7日 - 日本聖公会宣教百年記念大会が東京で開催(4月9日まで)。第99代イングランド国教会カンタベリー大主教ジェフリー・フィッシャーが来日。大会のため来日した各国主教を主賓とする歓迎レセプションも日本聖徒アンデレ同胞会とキープ協会共催で国際文化会館で開催され、高松宮、三笠宮、吉田茂元首相、岸信介首相、各国大使、政財界の名士5百余名が出席。
 ・ 4月9日 - フィッシャーと第21代米国聖公会首座主教アーサー・リクテンバーガーに名誉博士号を授与。
 ・ 6月 - 総長公選制を採用。
・ 1960年(昭和35年)
 ・ 4月 - 立教高等学校を新座へ移転。
 ・ 12月 - 旧:図書館本館・新館新築落成(現:メーザーライブラリー記念館新館)。
・ 1961年(昭和36年)12月 - 立教大学原子炉、臨界試験成功。
・ 1962年(昭和37年)4月 - 文学部心理教育学科を心理学科・教育学科に分割。キリスト教教育研究所を設置。
・ 1963年(昭和38年)
 ・ 4月 - 文学部ドイツ文学科、フランス文学科設置。立教学院聖パウロ礼拝堂(新座キャンパス)聖別式、落成式挙行。
 ・ 6月2日 - ミルトン・フリードマン(シカゴ大学教授、ノーベル経済学賞受賞者:1976年)に名誉博士号を授与。
・ 1964年(昭和39年)
 ・ 3月25日 - フリードリヒ・ハイエク(シカゴ大学名誉教授、フライブルグ大学教授、ノーベル経済学賞受賞者:1974年)に名誉博士号を授与。
 ・ 4月 - 社会学部産業関係学科設置。ラテンアメリカ研究所を開設。
 ・ 10月 - サッカー日本代表として、東京オリンピックに鈴木良三、渡辺正、横山謙三が出場。ベスト8(当時、横山は在学中)。
・ 1966年(昭和39年)6月 - 新座グラウンド開設。東長崎グラウンドを売却。
・ 1967年(昭和42年)
 ・ 4月 - 社会学部観光学科設置(初代学科長は野田一夫)。司書課程を設置(初代主任は海老澤有道)。
 ・ 5月 - ウィリアムズ主教像建立。
・ 1968年(昭和43年)
 ・ 1月 - 東京都へセントポール・グリーンハイツの土地と工作物等を返還。
 ・ 10月 - サッカー日本代表として、メキシコオリンピックにサッカー部OBの鈴木良三、渡辺正、横山謙三が出場。銅メダル獲得(渡辺、横山はのちにそれぞれ日本代表監督に就任)。
・ 1969年(昭和44年)
 ・ 1月 - 日本の大学で初めて入学試験にマークシート式解答用紙を使用(記述式と併用)。
 ・ 5月 - 埼玉県入間郡富士見町(現:富士見市)に学院総合グラウンド完成。仏文科人事問題をきっかけに大学紛争起こる。
・ 1972年(昭和47年)
 ・ 1月 - 大学計算センターを設置。
 ・ 4月 - 立教英国学院開校。
・ 1973年(昭和48年)9月 - 大場事件起こる。
・ 1974年(昭和49年) - 創立100周年記念式典を挙行。
・ 1975年(昭和50年)7月 - 最初の非信徒総長・尾形典男就任。
・ 1978年(昭和53年)
 ・ 11月 - 9号館竣工。昼間部総合大学で日本初となる社会人入試を法学部で開始。
 ・ 日本初となる受験生を対象としたオープンキャンパスを開始。
 ・ 7月 - コンピュータ・センター開設。
・ 1982年(昭和57年)
 ・ 4月 - 新座に大学の「図書館保存書庫」を設置。
 ・ 5月 - 理学部実験棟落成。
 ・ 11月 - 「鈴懸の径」歌碑建立。
・ 1985年(昭和60年)10月 - 大学院社会学研究科で社会人入試と外国人入試を実施。
・ 1987年(昭和61年)
 ・ 5月12日 - 第102代イングランド国教会カンタベリー大主教ロバート・ランシーに名誉博士号を授与。
 ・ 5月16日 - 日本聖公会組織成立100周年記念式典を挙行。カンタベリー大主教ランシー師による説教。
・ 1988年(昭和63年)12月 - 法学部国際・比較法学科設置。
・ 1990年(平成2年)4月 - 新座キャンパス開設。各学部(当初は経済学部を除く)1年次生が週1日通学を開始。
・ 1992年(平成4年)3月 - ウィリアムズホール竣工。
・ 1994年(平成6年)
 ・ 5月 - 7号館竣工。
 ・ 12月 - 全学共通カリキュラム運営センター発足。
・ 1995年(平成7年)3月 - 大学一般教育部解散。
・ 1996年(平成8年)
 ・ 2月 - 16号館竣工。
 ・ 4月 - 法学部政治学科設置。
 ・ 5月 - 立教学院125年史資料編第1巻を刊行。本編纂のための再調査で、ウィリアムズが1859年(安政6年)に上陸した長崎で既に英学を教えていたことが判明。
 ・ 8月 - 太刀川正三郎の夫人、太刀川あさ子の寄付によって太刀川記念館竣工。
・ 1997年(平成9年)4月 - 全学共通カリキュラム始まる。
・ 1998年(平成10年)
 ・ 4月 - 39年ぶりの新学部、観光学部(観光学科)・コミュニティ福祉学部(コミュニティ福祉学科)設置。新座キャンパスを武蔵野新座キャンパスに名称変更。
 ・ 9月 - 17号館竣工。
・ 2000年(平成12年)
 ・ 1月28日 - 立教学院創立125周年記念事業の一つとして『立教学院発祥の地』記念碑を築地の聖路加国際病院敷地内に建立し、除幕式を開催。記念碑は卒業生で彫刻家の三坂制によって制作された。
 ・ 4月 - 池袋、新座の各キャンパスで中高一貫教育を開始し、立教中学校は「立教池袋中学校・高等学校」、立教高等学校は「立教新座中学校・高等学校」となる。
 ・ 8号館竣工。
 ・ 6月16日 - ビル・ゲイツ(米マイクロソフト創業者)に名誉博士号授与。タッカーホールで立教学院創立125周年記念特別講演を開催。
・ 2005年(平成17年)
 ・ 3月 - 11号館竣工。
 ・ 8月 - ユリの木ホール竣工(新座)。
 ・ 10月20日 - フランク・T・グリズウォルド第25代米国聖公会総裁主教に名誉博士号を授与。
 ・ 12月 - 6号館竣工(新座)。
 ・ 7号館竣工(新座)。
 ・ 実験棟、スタジオ棟竣工(新座)。
・ 2006年(平成18年)
 ・ 4月 - 経営学部、現代心理学部設置。経済学部経済政策学科、社会学部メディア社会学科、文学部文学科、観光学部交流文化学科、コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科設置。文学部日本文学科、英米文学科、フランス文学科、ドイツ文学科、心理学科、経済学部経営学科、社会学部産業関係学科募集停止。産業関係研究所を改組し、リーダーシップ研究所を設立。
 ・ 武蔵野新座キャンパスを新座キャンパスへ改称。武蔵野新座図書館を増改築して新座図書館開館。
 ・ 6月 - 江戸川乱歩記念大衆文化研究センター開設。
・ 2007年(平成19年)
 ・ 2月20日 - リーダーシップ研究所の発足にともないシンポジウム「21世紀のリーダーシップ」を開催。
 ・ 4月 - 法学部の国際・比較法学科を国際ビジネス法学科に名称変更。
 ・ 7月 - 太刀川正三郎の夫人、太刀川あさ子の寄付によって太刀川記念交流会館竣工(新座)。
 ・ 8月 - 大学院理学研究科が順天堂大学大学院医学研究科と協定を締結し、医学物理士養成プログラムを設置。
 ・ 12月 - J・V・W・バーガミニー設計の立教学院校宅11号館・12号館(旧宣教師館)が新校舎建設のため解体。移築できるよう2007年9月下旬からの解体工事とともに保存調査が行われ、部材を倉庫に保管。(移築先は未定)
・ 2008年(平成20年)4月 - 異文化コミュニケーション学部(異文化コミュニケーション学科)設置。コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科設置。立教セカンドステージ大学開校。
・ 2009年(平成21年)
 ・ 3月 - 14号館竣工。
 ・ 4月 - 文学研究科組織神学専攻募集停止、キリスト教学研究科設置。
 ・ 9月21日 - 日本聖公会宣教150年を記念して来日した第104代イングランド国教会カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ師に名誉博士号を授与。カンタベリー大主教による記念講演を開催。
 ・ 9月22日 - 第26代米国聖公会総裁主教キャサリン・ジェファーツ・ショーリがタッカーホールで説教。
・ 2010年(平成22年)3月 - 7号館B棟竣工。社会情報教育研究センター (CSI) を開設。
・ 2011年(平成23年)3月 - マキムホール竣工(15号館)。8号館、4号館新築部分竣工(新座)。富士見総合グラウンド「クラブハウス」および「馬術部関連施設」竣工。
・ 2012年(平成24年)9月 - ロイドホール竣工(18号館)、池袋図書館開設。
・ 2013年(平成25年)
 ・ 3月 - ポール・ラッシュ・アスレティックセンターおよび立教池袋中・高教室棟竣工。
 ・ 4月 - グローバル教育センター開設。旧図書館本館(旧館・新館)の名称をメーザーライブラリー記念館へ変更。
 ・ 6月 - チャペル会館竣工。
 ・ 10月 - 立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋キャンパスチャペル)に新パイプオルガン導入。
・ 2014年(平成26年)
 ・ 創立140周年。
 ・ 1月 - 立教学院聖パウロ礼拝堂(新座キャンパスチャペル)に新パイプオルガン導入。
 ・ 1月21日 - 池袋キャンパスで駐日米国大使館首席公使カート・トンを招いて「日米友好の木 ハナミズキ」の植樹式を開催。学校法人として初めての受贈。
 ・ 4月 - 大学院理学研究科に順天堂大学大学院医学研究科と連携した医学物理学副専攻を設置。
 ・ 5月 - 2018年度以降の法科大学院の学生募集の停止を決定。
 ・ 11月 - 立教箱根駅伝2024事業始動。
 ・ 12月 - プロクライマーの野中生萌、豊島区と連携し、東京23区初のスピードクライミング壁を池袋キャンパス内に設置。
・ 2019年(平成31年)
 ・ 2月 - 理学部の研究室が開発に協力した光学航法カメラを搭載した小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウの着地に成功。
 ・ 12月 - 聖路加国際大学と医療的な支援および協力に関する協定を締結。
・ 2020年 (令和2年)
 ・ 4月 - 人工知能科学研究科を設置(日本初の人工知能に特化した大学院)。
 ・ 4月 - 立教大学外国語教育研究センター(FLER)を開設。
 ・ 7月 - 理学部の研究グループが日本曹達株式会社との共同研究で、温室効果ガスとして知られる二酸化炭素を選択的に吸着する新規の多孔性物質(MOF:Metal-organic Frameworks)の開発に成功。
・ 2022年 (令和4年)
 ・ 2月8日 - 学内の温室効果ガスの排出を2030年までに全体としてゼロにすることを目指し、「カーボンニュートラル宣言」を表明。
・ 2024年 (令和6年)
 ・ 3月26日 - スポーツウエルネス学部が大宮アルディージャと「相互協力・連携に関する包括協定」を締結。
 ・ 4月 - 21世紀社会デザイン研究科を社会デザイン研究科へ名称変更。
 ・ 5月7日 - 同志社大学と相互協力・連携に関する協定を締結。
 ・ 5月7日 - アジアサッカー連盟(AFC)が、立教大学メディカル&コンディショニング・センターならびに日本サッカー協会診療所、JFAメディカルセンター整形外科クリニックの3施設をAFCメディカルセンター(AFC Medical Centre/CLINIC of Excellence)に認定し、高円宮記念JFA夢フィールドで式典を開催。リギンズは滞在期間中、中国から持参したり、取り寄せた漢訳の聖書や歴史書、科学書等を日本の知識階級に積極的に販売、頒布するが、アメリカ独立宣言を含む合衆国の政治、行政、文化、教育等が具体的に書かれている『聯邦志略』など、日本の志士たちに大きく影響を与えることとなる書物を流通した。日本の文化や思想をより深く理解しようと儒学者の谷口藍田らとも交流し、英学を教えながら、漢学の学びを得ていた。また、ウィリアムズは仏教についての研究も行っており、ウィリアムズが記した研究ノートや仏教図が残されている。
1859年に9月19日に来日したトーマス・グラバーは、英国聖公会の信徒で、リギンズやウィリアムズの両宣教師などによって崇福寺広徳院の私邸や長崎英国領事館(当時、大浦の妙行寺内)を使って始められた長崎在住の外国人のための礼拝にも参加した。
1859年(安政6年)11月に長崎に来日したグイド・フルベッキもリギンズとウィリアムズ両名に迎えられ、住居が見つかるまでの間、この崇福寺広徳院に同居している。さらに、崇福寺の末寺である西山郷(現・長崎市上西山町)にあった大悲庵は、1848年(嘉永元年)に聖公会会員であったラナルド・マクドナルドが英会話教室を開き、日本初のネイティブの英語教師として幕府の公式通詞14名に教えた場所であり、日本の英語教育史において重要な位置を占めている。庵が所在した付近には、ラナルド・マクドナルド顕彰碑が建てられている。
立教大学の源流である最初の私塾が置かれた崇福寺広徳院は、現在は建物が存在せず、跡地は個人のお墓となっている。崇福寺は、1862年(文久2年)に高杉晋作がウィリアムズから政治制度や国際情勢を学んだ場所であり、潜伏していた場所とされるが。坂本龍馬も実際に崇福寺を訪れていたことが分かっており。 高杉晋作は、崇福寺に潜伏していた際に英語も学んでいるが、1865年(元治2年3月)に伊藤博文(俊輔)と下関に寄港した英国商船ユニオン号に便乗して来崎した際にも、ウィリアムズがチャプレンを務める英国聖公会会堂の管理人であった英国商人のトーマス・グラバーと邸宅で接触してイギリス渡航を頼み、準備が整うまで間に長崎英国領事でウィリアムズとも親交の深いジョン・F・ラウダーに英語を学んだ。当時の長州の状況からラウダ―の説得で渡航を断念したが、下関の開港を勧められ、ラウダ―から貿易関連の書類を受け取り、下関に戻っている。1865年(慶應元年7月27日)に伊藤博文が木戸孝允(桂小五郎)に送った書簡では、ウィリアムズ門下の瓜生寅(三寅)と荘村省三(助右衛門)が長崎で連携して活動していること伝えている。
フルベッキが寓居した大徳寺は、後述のウィリアムズの私塾で学んだ大隈重信がフルベッキからも学んだ場所の一つでもあり、現在大徳寺跡地(大徳寺公園、梅香崎神社)には、「大隈重信公揺籃の地」と「フルベッキ博士寓居の地」の案内碑が立っている。また、大徳寺の程近くには、薩摩藩蔵屋敷と屋敷に隣接して浜崎太平次のヤマキ長崎店があり、同屋敷は西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、五代友厚、寺島宗則らの薩摩藩士の活動に加えて、上述の薩摩藩名義で物資購入を行う長州の伊藤博文、井上馨と、亀山社中の坂本龍馬も屋敷に匿われて活動したとされる。
◎ ラナルド・マクドナルド研究
アメリカ史学者の立教大学名誉教授の富田虎男は、ラナルド・マクドナルドの研究を行い、その成果を1979年に『マクドナルド「日本回想記」―インディアンの見た幕末の日本―』として発刊している。富田は、研究組織である「日本マクドナルド友の会」の会長も務め、マクドナルドが上陸した利尻島野塚岬にあるマクドナルド顕彰碑と彼を描いた小説「海の祭礼」の作者・吉村昭文学碑の建立除幕式(1996年10月23日開催)で祝文を捧げた。

■ 築地キャンパス(立教と聖路加)
立教大学の前身の一つである立教学校は明治初期に築地居留地に開設されたが、1880年(明治13年)には、米国聖公会から新大学校舎の建設費を支出するとの連絡があり、ウィリアムズは築地居留地に学校、教会、病院からなるアメリカのカレッジ型のキャンパス施設群を計画した。慶應義塾大学はこの福澤が講師に着任した1858年(安政5年)を創立の年としている。福澤諭吉が講師に着任する前には、岡見彦三に招かれた杉亨二や松木弘庵(のちの寺島宗則)が福澤の前任の講師として、この一小家塾で教えた。杉亨二は1853年(嘉永6年)に塾講師に着任し、松木弘庵は1855年(安政2年)に塾講師に着任している。1866年(慶應2年)には、この中津藩中屋敷内に紀州藩が費用を負担して開設した「紀州塾」も置かれている。
また福澤は、この鉄砲洲の中津藩中屋敷に居住し、その一小家塾で蘭学の講師をしていた時に、日米修好通商条約によって新たな外国人居留地となった横浜へと出かけ、以前から学んできたオランダ語が外国人に通じないことに衝撃を受けて、英語の必要性を痛感している。そこで、福澤は、前述のラナルド・マクドナルドの教え子で、ペリー来航時の日本側通訳を務めた森山栄之助が江戸小石川で開いていた英語塾で学ぶために、この鉄砲洲の屋敷から日参で通うなど、その後英語学習をしていくこととなった。さらに福澤は、後に、この築地鉄砲洲の中津藩中屋敷で預かっていた「一小家塾」を芝新銭座(現・港区浜松町)へ移転し、1868年(慶應4年)4月に新しい近代学塾として「慶應義塾」を創設することになるが、塾の創設に際し、1862年5月(文久2年4月)に文久遣欧使節としてイギリス滞在中の福澤が、医師のの案内で訪問した英国国教会のパブリックスクールであるキングス・カレッジ・スクールをモデルとした。 築地の当地にある「慶應義塾発祥の地記念碑」は、1958年(昭和33年)に聖路加国際病院敷地内に建立されたが、1982年(昭和57年)に区の道路整備に伴い、従来の位置から病院前(南西側)の交差点ロータリー(現在の場所)に移転されている。またこの地は、1774年(安永3年)に中津藩医で蘭学者でもあった前野良沢が、杉田玄白らと共にオランダ解剖書「ターヘル・アナトミア」を翻訳して「解体新書」を著した場所でもある。慶應義塾発祥の地記念碑の隣には、近代医学発祥の基礎を築いた解体新書を記念した「蘭学事始の地」の石碑も建てられている。こうして当初のウィリアムズの計画通り、学校、教会、病院からなる米国聖公会のキャンパス施設が整備されていったのである。 1910年(明治43年)には、学生数の増加に伴いさらなる設備拡充が求められたことから、北豊島郡巣鴨村大字池袋(現在の池袋)に大学移転用地を購入。1919年(大正8年)に池袋キャンパスを開設し、大学施設は築地から池袋へ移転することになるが、その後も築地キャンパスには立教中学校や立教女学校、清国留学生のための志成学校、聖路加の病院施設等は所在しつづけていた。1920年(大正9年)には築地に聖路加国際病院付属高等看護婦学校が設立された。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災により築地の校舎群が損壊、焼失したことから、中学校と女学校は築地から移転、志成学校は閉校し、築地キャンパスには看護学校以外の学校施設は姿を消すこととなった。聖路加の病院施設も倒壊するが、入院患者80名を青山学院の寄宿舎に移送、後に仮設病院を建設して診療を継続した。また、震災後も築地には立教幼稚園があった。 また、1901年(明治34年)9月26日には、米国マッキンリー大統領の遥葬式があり、米国特命全権公使を喪主として、この時も皇族に加え、桂太郎内閣総理大臣を始めとする主要閣僚と名士たちが参集した。米国の要人の護衛としてハッチ大佐率いる米国水兵二小隊がつき、日本側からも近衛騎兵半小隊が要人の護衛の任務についた。参列者は各国公使や領事を含め400名を超えたという。このように、築地キャンパスと聖三一大聖堂は、英米両国と日本の友好関係を象徴する場所であり、日本の国家行事にも使われた。
聖三一大聖堂(現在に続く東京聖三一教会)は、1883年(明治16年)に創設された立教大学校の学生と、同じ校舎に併設された東京三一神学校(現・聖公会神学院)の学生、および築地を中心とする周辺の信徒、求道者が当初は教室で、翌年からは講堂で立教教会の名称で集会を開いたことに始まる。先述した1889年(明治22年)12月には、立教大学校に隣接する築地居留地39番に大聖堂が竣工し、築地の各集会所の会衆と深川聖三一教会(後の真光教会)から分かれた会衆により教会が発足すると、従前どおり、立教教会と呼ばれた。
◎ トイスラー記念館と立教学校の開校地
1933年(昭和8年)に、明石町19番地(前・築地居留地19番)に聖路加国際病院の宣教師館(後のトイスラー記念館)建てられた。設計はJ・V・W・バーガミニーで、施工は清水組(現・清水建設)が行った。この築地居留地19番は、フランス人のハアボール・ブラントが所有した後に米国聖公会の手に渡り、ウィリアムズ関連の建物があったと思われ、そこに新しく宣教師館が建てられたものであった。また、築地居留地19番は、立教学校の開校地とされる詩人ロングフェローの子息C・A・ロングフェロー(Charles A. Longfellow)の居宅があった場所とする説もある。当時の教材は新約聖書や合衆国憲法に加え、アメリカ独立宣言であった。独立宣言の「人は平等に生れ、生命と自由と幸福の追求は天与不抜の権利である。」との声明は、近世封建社会下にあった日本の青年の心に火をつける。かくして、大隈は日本の政治上の近代化のために大志を抱くこととなり、生涯に渡って大きな影響を受けることとなった。アメリカ独立宣言起草者のトーマス・ジェファーソンはアメリカでハーバード大学に次いで2番目に古い歴史を持つ、ウィリアムズが卒業したウィリアム&メアリー大学の卒業生でもあり、ウィリアムズにとっても同郷バージニア出身の立志伝中の英雄であった。
大隈は、「ジェファーソンは、合衆国に民主主義の政治を実行するためには、青年を教育することの必要を感じてバージニア大学を設立した。ジェファーソンと同じ考えで、早稲田大学を創設した。」と語っている。ウィリアムズもフルベッキも来日後、同じ崇福寺に住み、トーマス・グラバーは英国聖公会会堂の管理人の一人であった。
大隈が立教築地キャンパスの形成に尽力したことは立教大学との縁故の一つである。

■ 聖公会ミッションの医療活動の歴史

◎ ミッションの医療活動
立教大学は、開設以来、幾度と医学部の開設を構想してきた。米国初代総領事で熱心な聖公会員であったタウンゼント・ハリスが、米国全権代表として締結した日米修好通商条約に本国人の宗教の自由を認め、居留地内に教会を建てて良いとする第8条を加えることで宣教師の来日が可能になったが、ハリスも米国聖公会の遣清宣教師であったエドワード・サイルに対し、英語を教える学校の開設と医師による医療事業の開始を伝道上の良策として提言し、聖公会の教育と医療を軸とする伝道施策展開の基本姿勢として活かされ、現在に続く教育事業と医療事業として実を結んでいる。
ハリスやサイルらの活動の結果、米国聖公会伝道本部から宣教師に任命されたジョン・リギンズとチャニング・ウィリアムズは、日本でプロテスタント初となるミッションを開設し、早速二人は私塾を設けるなど教育活動を始めるが、リギンズは多くの医学書を日本に流通させた。同時に医療宣教師(宣教医)であるハインリッヒ・シュミット医師が任命され、日本で医療活動と医療従事者向けに教育活動を始めた。シュミットは長崎に診療所と私塾を開設し、治療活動を行うとともに、地元の医師に西洋医学と英語を教え、近世日本の布教史における最初の宣教医となったのである。しかし、文部省の了承は取り付けたものの、聖路加国際病院が戦時下の医療拠点として期待されていたことなどの阻害要因があったと考えられ、省庁間の縄張り争いから厚生省において了承が得られず、開設には要らなかった。医学部設置のために精力を傾けてきた遠山は、学院総長・理事、大学学長というすべての職を辞し、立教を去ることになった。2024年5月7日には、立教大学メディカル&コンディショニング・センターが、アジアサッカー連盟(AFC)からAFCメディカルセンター(AFC Medical Centre/CLINIC of Excellence)に認定された。

■ 国際連盟立教大学支部
1924年(大正13年)12月11日に立教大学に国際連盟の支部が設立され、支部長には杉浦貞二郎が就いた。発会式講演会は豊島師範講堂で行われ、国際連盟事務次長の新渡戸稲造(札幌農学校2期生)、青木節一(国連ジュネーヴ本部事務員、リットン調査団一員、後のヤナセ常務)、米田実(立教大学教授、朝日新聞社初代外報部長)、大学雄弁会に所属する今村忠助(後の衆議院議員)らが演説を行った。会場は満席で立錐の余地なく、聴衆約600名で満たされた。演説の中で新渡戸は、「国際連盟の使命は戦争を全く根絶することではなく、戦いの方法を更えることにあり、すなわち武器を用いず国際マインドを以って戦わせようとすることにあり、連盟の将来は青年に俟つものが多し」と熱弁し満場の拍手と共鳴を呼んだ。全日本選手権優勝7回、全日本大学選手権優勝6回のバスケットボール部、日本の先駆けとして創部され、全日本学生バドミントン選手権で7連覇したバドミントン部など、立教のスポーツは輝かしい歴史と伝統を持つ。山岳部は日本で初めてヒマラヤに遠征し初登頂を果たした。ボクシング部も歴史が古く、1923年に日本ボクシングの母、荻野貞行(帝拳ジム創設者)らにより創部された。アメリカンフットボール部も日本のアメフトの歴史そのものといえる由緒あるクラブであり、アメリカンフットボールの普及と1934年の東京学生アメリカンフットボール連盟設立に尽力し、「フットボールの父」と呼ばれるポール・ラッシュ博士によって創部された。1933年には、サッカー部の2代目部長として、チームを関東リーグ1部へ昇格に導いた。1926年には同大学を日本に迎えて試合を行った。戦後も韓国の延世大学と定期戦を設けるなど国際交流を進めた。延世大学(当時・延禧専門学校)を経て、立教大学を卒業したバスケットボール選手の張利鎮は、1936年ベルリンオリンピックでは日本代表選手として出場し、1948年ロンドンオリンピックでは韓国代表として出場するなど国際舞台で活躍した。こうした戦前の時期も全国の名門中学(旧制)から強い選手が集まり、野球、バスケットボール、ラグビー、サッカーなど全日本クラスが大勢在籍した。 1965年には、初代法学部長で、憲法学の権威である宮澤俊義が、教授職と兼務で日本野球機構(プロ野球)コミッショナーを務めた。 立教のスポーツは長い期間、低迷する時代が続いたが、近年になってスポーツ施設が生まれ変わり、アスリート選抜入試など受け入れる制度も整い、有望な選手たちが入学し、立教大学を胸に世界と戦うための環境ができつつある。ボート部は、2016年の全日本選手権において男子フォアで初優勝。2019年には女子エイト、2021年には男子フォアが2度目の優勝を果たした。野球部は、2017年全日本大学野球選手権で1958年以来59年ぶりに4回目の優勝を飾った。同年ラグビー部は、1961年以来56年ぶりに定期戦で早稲田大学に40‐20で勝利した。陸上競技では、2018年から「箱根駅伝2024事業」が開始し、立教大学の誇りと伝統校復活のため強化を進め、2022年第99回箱根駅伝予選会で6位となり、55年ぶりに箱根駅伝本選出場を決めた。2019年には、剣道部が、第38回全日本女子学生剣道優勝大会で全国優勝し、女子ラクロス部は、第11回ラクロス全日本大学選手権大会で全国優勝し、それぞれ創部初の快挙となった。第69回全日本学生賞典障害馬術競技大会では、馬術部の杉本瑞生が創部以来初の個人優勝を果たした。ラグビー部は、51年ぶりに定期戦で明治大学に38‐24で勝利した。2021年、プロボクシング日本女子ミニマム級で、鈴木なな子が日本チャンピオンに輝いた。日本学生自転車競技連盟主催の「全日本学生ロードレース・カップ・シリーズ2021」では、自転車競技部の中島渉が総合優勝し、同部史上初の快挙となった。2022年、レスリング部が東日本学生リーグ二部リーグで優勝し、1962年大会から61年ぶりに一部リーグ復帰を果たした。世界ジュニアカーリング選手権大会2022では、荻原詠理が所属する日本代表チームが日本カーリング界で初の世界一に輝いた。2023年、陸上部女子長距離パートが、富士山女子駅伝(2023全日本大学女子選抜駅伝)に初出場した。(スポーツを参照。) 2008年には、スポーツ科学を総合的に学べるコミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科(現・スポーツウエルネス学部)を開設。2019年からは、同じ聖公会に属する聖路加国際大学と協定を締結し、プロ選手や日本を代表するトップアスリートの健康維持管理を医学的側面からサポートしてきた聖路加国際病院スポーツ総合医療センターの医療スタッフからスポーツにおける医療的な支援や協力を受けられる体制を整備している。2023年4月には、スポーツウエルネス学科を改組し、スポーツウエルネス学部を設置した。同学部では、FIFAワールドカップカタール2022を始め、SAMURAI BLUE(サッカー日本代表)のチームドクターとしてこれまでチームを支えている加藤晴康が教授を務めている。

■ 日本の野球のさきがけ
1883年(明治16年)に築地で創設された米国式カレッジの立教大学校には野球チームがあり、立教は日本の野球の率先者であった。その頃、ベースボールチームがあったのは立教と東京英和学校(現・青山学院)と鉄道局(新橋アスレチック倶楽部)だけであり、東京六大学野球連盟に所属するチームの中で最も古い歴史を持つ。当時の試合は新橋停車場内の広場で行われた。対抗戦で優勝し、山縣雄杜三(後の立教大学教授、チャプレン)も優勝チームの選手として活躍した。

■ 授業科目としてのスポーツの歴史
立教の授業科目としてのスポーツの歴史は、中世ヨーロッパ以来のリベラル・アーツの伝統を受け継いで1883年に開設された、前述の野球チームもつくられた立教大学校において、既に体操が教育プログラムとして設けられており、英国国教会(聖公会)のパブリックスクールやカレッジで行われてきたスポーツを通じた人間育成が実施されている。

■ 立教大学とオリンピック
立教大学とオリンピックのつながりは古く、1924年パリ大会で、水泳部の学生が100メートル背泳ぎで6位入賞したことに始まり、1936年ベルリン大会では、水泳部の学生2名が競泳男子800m自由形リレーで世界新での金メダルを獲得した。サッカーでは、1964年東京オリンピックにサッカー部から3名の日本代表選手が出場し、次の1968年メキシコ大会でも3名の選手が活躍し、銅メダルを獲得した。その他競技も含め、立教大学からこれまで60名以上の選手を送り出し、コーチや監督といった選手を支えるスタッフとしても多くの関係者が出場している。競技以外でも、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの選手村食堂運営に、立教大学の「ホテル研究会」の学生が携わった。 2020東京オリンピックで、池袋キャンパスに設置されたスピードクライミング壁で練習を行っていた野中生萌が、新競技となるスポーツクライミング女子複合で銀メダルを獲得した。
基礎データ ■ 所在地

・ 池袋キャンパス(東京都豊島区西池袋3-34-1)
・ 新座キャンパス(埼玉県新座市北野1-2-26)
・ 陸前高田サテライト(岩手県陸前高田市米崎町字神田113番地10)
・ 富士見総合グラウンド(埼玉県富士見市下南畑1343-1)

■ 象徴

◎ 校歌

◇ 校歌『栄光の立教』 : 作詞:諸星寅一、補作詞:杉浦貞二郎、作曲:島崎赤太郎。 :1921年(大正10年)に野球部が五大学リーグに加わったのをきっかけに、従来からの英語の校歌に代わって新しい校歌が求められるようになり、1924年(大正13年)6月の立教大学学友会予算総会の席上、大学歌を一般学生から募集することが満場一致で決まる。こうして歌詞が学内より募集されたが、集まった歌詞に名作がない中、同年11月に商学部2年永井一郎の草案が三等として採用された。しかし充分大学の精神を表現していないとのことで、当時の学長事務取扱・杉浦貞二郎が改めて立教中学校教諭の諸星寅一に依頼した。諸星に作詞依頼がなされる中、朝木直枝によっても、校歌『わが僚友』が作詞され、1925年(大正14年)2月20日の「立教大学新聞第12号」に歌詞が掲載されたが、採用には至らなかった。 その後、1926年(大正15年)になり、諸星が作った歌詞の各節末尾に杉浦学長の発案で「自由の学府」の文句を付け加えて、多年の懸案であった大学歌が完成した。歌詞の中には、当初の三等の草案にあった語彙も含まれており、諸星が草案に配慮して作詞したと思われる。当時の立教大学新聞にも、歌詞は学内より募集したものを改定、修正したとあることから、草案から修正を加え作詞したものと考えられる。作曲は、東京音楽学校(現:東京芸術大学)教授の島崎赤太郎が行い、1926年(大正15年)2月27日、大学歌発表会が開催され、校歌『栄光の立教』が披露された。1919年(大正8年)5月31日に開催された池袋校舎落成式に来賓として参加した渋沢栄一の伝記資料にも、『校歌を合唱して閉会したるは晩景なりき。』との記述があり、別の校歌が存在していたことを裏付けている。
◇ 準校歌『あゝ立教の旗の下』 : 1941年(昭和16年)、従来の上記校歌『栄光の立教』がメロディーがその優雅さの故にか、野外、特に神宮外苑等では調子が弱く、かつ学生の士気にも関係するという説もあることから、活発明朗な校歌の誕生が強く要望され、立教大学学友会で校歌の募集を行うこととなった。これにより従来の『栄光の立教』が廃止される訳ではなく、今後は両校歌を適宜併用することとした。応募の結果、武藤重勝(立教大学図書館員)の作詞した校歌が選ばれた。武藤は、寮歌『荊道遠くたどり来て』の作詞者でもあり、準校歌当選時の抱負として、私は詩作を始めてから10年となり、学校に近代的で新鮮な優秀な詩を残したいということはかねてからの希望であったことから、準校歌を書いたことを嬉しいと語った。作品は近代的行進曲に準じるとともに、格調技巧音感等にも苦労して書いたが、技巧は自作の中でも自信のあるものとなったといい、歌詞は立教学院学報第7号(1941年5月6日)に現存する。作曲についても作詞同様に募集され、武藤は作曲も優秀なものを望み、さらに今後立教の学生からもっと優秀な作品を生ませたいと語った。 : この準校歌は現在、存在が忘れられ歌われていないが、歌詞にある『あゝ立教の旗の下』の言葉は、戦後(1946年)に作られた第一応援歌『行け立教健児』の2番にも使われている。 : こうした準校歌など複数の校歌がある例は他の学校にもあるが、校歌が制定されていない東京大学では、運動会歌の『大空と』や、応援歌の『ただ一つ』が校歌の代わりとして演奏・斉唱されるなどの例もみられる。
◇ 戦時中の別の準校歌 : 1942年(昭和17年)には、校歌『栄光の立教』の「自由の学府」の文言が問題視され斉唱禁止となり、同年12月10日には、戦時下の状況が反映された準校歌(作詞:尾崎喜八、作曲:小松平五郎)が制定された : 作詞:武藤重勝。
◎ 留別歌『懐かしの立教』
1925年(大正14年)3月に、立教大学が1922年(大正11年)に大学令により再び大学となった後の第一期卒業式が予定された際、そこで合唱する大学留別歌(別離歌、卒業式歌)が必要とされ、前月の1925年2月5日付の立教大学新聞第11号にて中村恭二郎の試作による別離歌(卒業式歌)『…踏花共惜少年春…』が掲載された。
1930年(昭和5年)3月25日に行われた卒業式でも、ウッド博士らの祝辞のほか、井上準之助蔵相、ウィリアム・リチャーズ・キャッスル駐日米国大使、ジョン・ティリー駐日英国大使の来賓演説等のあと、最後に大学留別歌で式が閉会している。現在、留別歌は存在が忘れられて歌われていない。
◎ 応援歌

◇ 第一応援歌『行け!立教健児』 : 作詞:小藤武門、作曲:土橋啓二。応援団に入ったばかりの小藤武門(後の応援団長)は、当時の草壁哲雄団長(応援歌「栄光立教」の作詞者)から、新しい応援歌を作るようにとの依頼を受けた。しかし、曲作りも戦争でいったん中断する。戦後となり1946年(昭和21年)、中断していた東京六大学野球が復活し、「新しい時代には、新しい応援歌を」と復員後、本学を卒業した小藤は仕事の傍ら再び曲の制作に取り組み、作曲家・土橋啓二の尽力を得て、古今聖歌集の聖歌300番を基に作詞し、6年ぶりに完成した曲である。
◇ 第二応援歌『St.Paul's will shine tonight』 : 作詞・作曲:不詳 : 1927年(昭和2年)、米国カリフォルニア州フレズノで日系二世を中心に結成された野球チーム「the Fresno Athletic Club」が来日し、本学バスケットボール部とバスケットボールの親善試合を行った。試合後、フレズノ側が自チームの応援歌「セント・フレズノ ウィル シャイン…」を「リッキョー ウィル シャイン…」と歌い、勝った立教を祝福した。この歌はバスケ部歌となり、やがて大学の応援歌となった。授業開始・終了時のチャイムとしても使われている。詳細は「フレスノ野球団」を参照。
◇ 第三応援歌『若き眉』 : 作詞:清水みのる、作曲:利根一郎
◇ 第四応援歌『栄光立教』 : 作詞:草壁哲雄、作曲:土橋啓ニ
◇ 第五応援歌『勝ちて歌わん』 : 作詞:佐伯孝夫、作曲:灰田有紀彦
◇ 第六応援歌『輝く栄光』 : 作詞:小藤武門、作曲:土橋啓ニ
◇ 学生歌『紫の旗』 : 作詞・作曲:不詳、補作・編曲:井上義之
◇ 幻の応援歌『力のアポロ』 : 昭和の初め、野球部に応援歌がないことが、チームの志気をひき立たせる上にも、一般野球ファンの間にも非常に遺憾とされていた。そこで、1930年(昭和5年)4月に立教大学グリー・クラブの斡旋により、姉妹校の奈良英和学校で学んだ校友でもある西條八十が作詞し、弘田龍太郎が作曲した野球応援歌が作られた。歌詞は当時の立教大学新聞紙上に公開され現存する。西條八十は、「青い山脈」や「東京行進曲」も生み出した著名な作詞家で、母校・早稲田大学の「紺碧の空」の募集審査を行ったり、「明治大学校歌」を補作して生み出すなど、校歌や応援歌の作者としても名の知れた人物である。 : 1930年(昭和5年)5月6日に、本応援歌の第1回練習会が体育館前広場でグリー・クラブ員の指揮の下に行われ、時ならぬ賑わいを見せ、翌7日に宿敵慶應を遂に撃破したため、学生の意気は大いにあがった。5月8日には翌9日の対早稲田戦1回戦を控えて、再度練習が行われ、久保田、根岸、坂東、冨田、矢野の諸教授も熱がこもった大声を張り上げた。歌はテンポが遅く他校の応援歌に圧倒される懸念がないわけでもないが、一般には好評を博したとされた。 : 類似例として、同じくアポロンをテーマとした応援歌が、東京大学において1966年に『燃ゆる獅子』として作られ、現在も演奏されている。 : また、戦後初のヒット曲である「リンゴの唄」や、「ちいさい秋みつけた」「うれしいひなまつり」などの作詞を手掛けたサトウハチロー(旧制立教中学出身)は西條八十の弟子であり、第三応援歌『若き眉』の作詞を行った清水みのるの先輩としても知られる。
◎ 創立記念日
立教学院は創立記念日を5月5日としているが、いつから、なぜその日を創立記念日としたか分かっていなかった。米国聖公会のジョン・リギンズが1859年(安政6年)5月2日に長崎に来日し、まもなく崇福寺広徳院に設立した立教の源流となる私塾や、チャニング・ウィリアムズが1870年(明治3年)に大阪・川口の与力町に設立した英学講義所(のちの大阪・英和学舎)の設立日は分かっておらず、ウィリアムズが1874年(明治7年)に東京・築地に開設した立教学校の設立は2月3日である。
◎ ユリの紋章
立教の学生や生徒、児童、各校の卒業生に広く愛用されている百合紋章(フルール・ド・リス)は、1932年(昭和7年)、学生キリスト教団体「立教大学ローバース」によって使用され始めた。立教ローバースは、2021年で創設97周年を迎えた歴史ある団体で、学内では学生キリスト教団体、山岳関係団体にも所属し、日本ボーイスカウト東京連盟城北地区豊島第8団に所属する、ボーイスカウト団体である。世界各国のスカウト章にはフルール・ド・リスが用いられている。 野球部でも昭和初期には野球帽にフルール・ド・リスのマークが加えられた。 ユリは純潔の象徴とされ、キリスト教と深いつながりを持つ。元来、ユリの紋章は神の三位一体性を象徴したもので、キリスト教国では勝利の記号に用いられるが、立教大学では知・徳・善あるいは、愛・正義・誠を象徴するものとして使用されてきた。ユリの紋章は、イタリアのフィレンツェやアメリカのセントルイスをはじめ、都市のシンボルマークとしても使われているが、教育機関でも英国のパブリックスクールの名門校で、立教大学と同じ英国国教会系のイートン・カレッジの紋章などにも使用されている。 学校法人立教学院では2009年4月にフルール・ド・リス(セントポールズ・リリー)を楯のマークに次ぐセカンダリ・シンボルとして採用し、デザインを精緻化するとともに、St.Paul’sの文字を加えた。
◎ スクールカラー
スクールカラーは紫色。楯のマークの色に由来する。
また、1883年(明治16年)に大阪・英和学舎(立教大学の前身の一つ)で、制帽、制服とともに徽章が規定された際に、徽章のデザインとして桜を形どった模様が用いられている。立教大学卒業生の岡見如雪が理事長を務めた頌栄女子学院の校舎も、モリス館をモデルに設計されている。岡見は同じ聖公会系のとの協同により、世界で初めての合弁大学であるウィンチェスター頌栄カレッジも創設している。 創建当初のモリス館は、中央の時計塔が現在よりも荘厳な3層構造の建物で、周囲よりも高層なシンポリックな「塔」であったが、1923年(大正12年)の関東大震災で塔の上層が被害を受けたため、その後、修復する際に1層低い現在の2層構造で再建されることとなった。屋根も再建時にチューダー様式の特徴の一つであった切妻から寄棟に変更された。 創建当時の姿である3層構造の建物で比較すると、アーサー・ロイドも学んだ英国ケンブリッジ大学のセント・ジョンズ・カレッジや、ジョージ・エンソルが学んだクイーンズ・カレッジの建物に酷似しており、マーフィー・アンド・ダナ建築事務所が設計の際に参考にしたものと思われる。時計塔の時計は、南北の文字盤を親時計が動かしている。動力には分銅(重り)が使われており、現在も担当者が分銅を引き上げる作業を行っている。当初は1週間に1度程度行っていたものが、3層構造から2層構造への減築時に塔の高さが短くなったことから、現在の3~4日に1度の作業となった。親時計は、イギリスの国会議事堂に付属するビッグ・ベンと同じ、E・デント社製である。製作から100年を超える古時計のために図面がなく、今後の保存やメンテナンスのためにも、専門家である世界古時計協会の日本支部に時計の図面化を依頼したことがあったが、分解して図面化して組み立てなおすのに1年かかるとのことで、図面化を断念した経緯がある。そのため、時計の造りは単純ではあるが、2022年現在もどういう仕組みで時計が動いているか完全には解明されていない。また、屋上テラスには、時計と連動して定時の時刻を知らせるため池袋キャンパスに鳴り響いていたと思われる鐘が残っているが、今は動いておらず鐘の音を聴くことはできない。大正期において、時計塔は立教の誇りであり、「自由の塔」と呼ばれていた。また、このモリス館に加え、寄宿舎、食堂等を完備しているカレッジ・ゴシック様式の校舎群は、「東京に在りて、心は遠く牛津(オックスフォード)、剣橋(ケンブリッジ)にある感あり」と言われた。また、明治期には、築地の立教大学校校舎に、学生の大きな誇りとなる美しい尖塔が建っていた。(詳細は立教大学校校舎と尖塔)
◎ 各記念ホール
前項のモリス館を始め、立教大学には学校の発展に貢献した人物の名前のついた建物が多く、タッカーホール、ウィリアムズホール、マキムホール、ロイドホールなどがある。大学への寄付者を記念するメーザーライブラリー記念館や、太刀川記念館も存在する。
こうした貢献者の名を冠するメモリアルホールは欧米の大学でも多く見られ、立教大学創設者であるウィリアムズが学んだアメリカのウィリアムズ&メアリー大学においても、同大学で学んだ初代アメリカ大統領を記念するワシントンホールを始め、ジェファーソンホール、モンローホール、タイラーホールなど、建物の多くに卒業生など偉人の名がつけられている。アメリカ最古のロースクールであるマーシャル-ワイス法科大学院もアメリカ独立宣言の署名者で、ジェファーソン(第3代アメリカ大統領)も学んだバージニア州最高裁判所判事のジョージ・ワイス(アメリカ法律学の父、アメリカ最初の法律学教授)と、彼に同大学で学んだ第4代連邦最高裁判所長官のジョン・マーシャルを記念した名である。大学構内には立教大学にある建物と同じ名称のタッカーホールもあるが、これは立教学院総理であるヘンリー・セントジョージ・タッカーの曽祖父で、ワイスの後継者として法学教授を務めたを記念した建物である。
◎ 第一食堂(池袋キャンパス)
本館(モリス館)と同じく1918年(大正7年)に竣工した第一食堂は、英国の寄宿舎を思わせるクラシカルな雰囲気で、ハリーポッターの世界観があると言われ、学外からの訪問者も多い食堂である。立教大学と同じルーツを持つ英国国教会(聖公会)系大学であるオックスフォード大学クライストチャーチにある「Christ Church Hall(食堂)」は、実際に映画ハリーポッターのモデルとなった食堂で、階段などはロケで利用されている。第一食堂とは窓の構造や配置が類似しており、天井の梁の造りは同一構造となっている。
第一食堂入口の扉の上にはラテン語で「APPETITVS RATIONI OBEDIANT」とあり「食欲は理性に従うべし」と書かれている。これは哲学者キケロの「欲望は理性に従うべし」という言葉をもじったものである。
◎ クリスマスイルミネーション
本館前の2本のヒマラヤ杉は、1920年ごろ植林された。高さは約25メートルで、現在も成長を続けている。このヒマラヤ杉を用いたクリスマスイルミネーションはクリスマスの時期、池袋のランドマークとなる。イルミネーションの始まりは、戦後間もない1949年ごろ。当時、400個余り取り付けられていた色電球は、現在は1,000個以上であるがあり、日本における教会音楽の充実と発展のため、研究に加え資料収集や教会音楽に携わる方との交流や研修を行い、一般の方向けにもオープンなプログラムを提供している。 歴史的には、池袋キャンパスが落成式を迎えた1919年から、日本のオルガン界に大きな功績を残したエドワード・ガントレットが教えた。ガントレットは、池袋キャンパスのチャペルにアメリカのエスティ社(Estey)製のパイプオルガンを設置した。設置には学生も手伝わせている。また、築地キャンパスの聖三一大聖堂には既にパイプオルガンが設置されており、立教では複数のオルガンを所有していた。ガントレットは、立教大学最初の聖歌隊長も務めた。当時生徒であった山鹿博によると、ガントレットはパート楽譜を自分で印刷してきて生徒に配り、練習した後でパイプオルガンを弾きながら指揮したという。1900年に滝廉太郎の堅信式を行い、音楽にも知見のあったジョン・マキムもガントレットの指揮する教会音楽(英国のアンセム)に感激したと言われている。東京府立第一高等女学校(現・都立白鵬高等学校)の4、5年生全員が、音楽教師に引率されて池袋キャンパスのチャペルを訪れ、ガントレットの演奏を鑑賞したこともあったという。加えて、ガントレットは経済学部教授としてタイプライティングも教えている。 立教学校初代校長のジェームズ・ガーディナーが設計した東京・本郷の聖テモテ教会聖堂に設置されていたパイプオルガンは、1932年に設置された日本楽器(現:ヤマハ)製の国産第1号のパイプオルガンであったが、1945年の戦災で聖堂とともに焼失。パイプオルガンの音色を再び響かせたいという想いの下、2002年に新パイプオルガンが設置された。聖堂は1950年に再建されている。
◎ 角帽・モルタルボード型
築地にあった米国式カレッジである立教大学校の学生が、角帽(モルタルボード型)を日本で最初に着用して都内を闊歩したと言われる。この米国式の大学帽は、頂に赤と黒の絹の房があり、学生たちはそれをたらして意気揚々と都大路を闊歩していたという。当時の学生たちは西洋の大学に入学したような心持であった。制服は金ボタンがついた制服であった。オンラインの『Rikkyo Alumni Shop』では、校友会オフィシャルグッズも販売されている。これら以外にもラグビー部やアメリカンフットボールチームであるRushers(ラッシャーズ)などは、チーム独自のサイトでグッズ販売を行っている。
また、経営学部のゼミでは、株式会社ZOZOやアパレルブランド「nano・universe」などと連携して、大学とアパレルブランドのコラボレーション企画としてパーカーを製作している。2022年10月にはZOZOTOWNとのコラボレーションで「Rikkyo University」の頭文字のロゴを施したスウェットを製作した。
こうしたグッズ販売や取り組みは、アメリカの大学では伝統的に盛んに行われており、大学スポーツの人気とともに、大学のブランド力向上や収益に繋がっている。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)においては、1919年にロサンゼルスのウエストウッドにキャンパスを設立して以来、グッズを販売している。UCLAのキャンパス内には街中のアパレルショップさながらの『UCLAストア』などの大型ショップが複数展開して豊富な商品を扱っており、在校生のみならず多くの観光客が購入している。UCLAの学生スポーツチームであるUCLAブルーインズの名称が入ったグッズも多くある。また、オンラインの『UCLAstore.com』の収益はすべて、UCLAコミュニティのための商品やサービス、最先端のキャンパス施設、学生活動のための資金など、さまざまな方法で再投資されており、大学の運営に寄与している。
組織、教育支援プログラム ■ 組織

◎ 学部

・ 文学部(池袋キャンパス)
 ・ 大学創立時からの流れを汲む文学部の学科数は学内で最も多かったが、2006年度改編に伴いキリスト教・文・史・教育の4学科となり、新たに専修が加わった。また、比較文芸・思想コースが設置されていたが、2008年度をもって廃止し、文芸創作部門、思想・哲学部門、文化・文明批評部門が「文芸思想専修」となった。このコースは正式な学科ではないが、このコースを履修する学生には独自科目を配置。入学した学科に所属しながら、コース独自の科目を履修し、卒業時には「卒業研究」として創作文芸作品や芸術研究、共同制作の映像作品などを提出した。
 ・ キリスト教学科
 ・ 文学科
  ・ 日本文学専修
  ・ 英米文学専修
  ・ 英米文学科が改組する英米文学専修はアメリカ文学の研究では「草分け的存在」を自負しており、指導教員・蔵書とも充実している。イギリス文学ではシェイクスピアをはじめ、ロマン主義文学、ヴィクトリア朝文学研究が盛ん。英語学分野では英語史、英語文献学が中心。
  ・ ドイツ文学専修
  ・ ドイツ文学専修は文学というより、「ドイツ学」という形で、ドイツ語圏文化を広く研究している。
  ・ フランス文学専修
  ・ 文芸・思想専修
 ・ 史学科
  ・ 日本史学専修
  ・ 世界史学専修
  ・ 超域文化学専修
 ・ 教育学科
  ・ 教育学専攻
  ・ 初等教育専攻 - 小学校の教員免許が取得できる
   ・ 3年次に各専攻に分かれる
・ 異文化コミュニケーション学部(池袋キャンパス)
 ・ 異文化コミュニケーション学科
・ 経済学部(池袋キャンパス)
 ・ 経済学科
  ・ 経済分析コース
  ・ 経済社会コース
  ・ 国際経済コース
   ・ 2年次から各コースに分かれる
 ・ 経済政策学科
 ・ 会計ファイナンス学科
・ 経営学部(池袋キャンパス)
 ・ 「リーダーシップの育成」を目標に掲げ、グローバル化する社会に資する人材を育成すべく、独自のプログラムを展開している。学外の高校や企業とのコラボレーションも盛んで、学部生は一年生の段階から、授業を通して企業から提示されたプロジェクト課題に取り組み、問題解決やプレゼンテーションなど実践的なスキルを身につけていく。
 ・ 経営学科
 ・ 国際経営学科。
学生生活 ■ 学園祭
立教大学の学園祭は池袋キャンパスではSt.Paul's Festival (SPF)、新座キャンパスではIVY Festaと呼ばれ、毎年秋に両キャンパスで開催される。 St.Paul’s Festivalは学園祭のNo.1を決定する「学園祭グランプリ」で2019年にMVPを獲得。「ベストオブ学園祭」でも2017年に大賞に選ばれるなど、注目度が高い学園祭で、来場者数は毎年5万人を超える。立教大学広告研究会が主催するミス立教コンテストが同時開催され、ミスキャンパスのグランプリを選出する。ミス立教出身者の多くは、アナウンサーやモデル、タレントなどで活躍している。同時に、ミスターキャンパスのミスター立教コンテストも開催されている。 St.Paul's Festivalは東京六大学学園祭連盟に加盟している。
◇立教祭の廃止とSPFとしての復活開催 立教大学の学園祭であった『立教祭』は学生運動の影響により、1976年から1983年まで廃止されていたが、のちにリクルートホールディングスの役員となった冨塚優を始めとする学生有志たちの尽力により、1984年にSPF(セントポールズフェスティバル)として復活することとなった。この活動は現在のSPF運営委員会の母体となっている。また、立教祭として開催されていた頃、当時の大学新聞(1962年)の写真によると、英称としてSPF(セントポールズフェスティバル)も併記されていた、1883年(明治16年)創設の立教大学校には既に日本の野球の先駆けとなる野球チームがあり、東京六大学野球連盟に所属するチームの中で最も古い歴史を持つ。OB・OG会である紫聖会と協力して活動を行っている。男子長距離は箱根駅伝で第33回大会総合3位を最高位に27回出場の記録があるが、1968年(昭和43年)を最後に箱根路から遠ざかっている。2018年から立教箱根駅伝2024事業が開始し、創立150周年を迎え第100回大会となる2024年の箱根駅伝出場を目標に立教の誇りと伝統校復活のため強化を進めており、2022年10月15日に行われた第99回箱根駅伝予選会で6位となり、目標としていた2024年よりも1年早く55年ぶりに箱根駅伝への出場を決めた。大学のスクールカラーは「紫色」であるが、陸上競技部カラーは代々江戸紫であることから、駅伝のタスキの色には「江戸紫」が使用されている。 :2023年には、女子長距離パートが富士山女子駅伝(2023全日本大学女子選抜駅伝)に初出場した。 :第103回関東インカレにおいては、男子がトラック総合優勝するなど、短距離・中距離種目も力を伸ばしている。
◇水泳部 :1921年(大正10年)に創部し、2020年に創部100周年を迎えた伝統のあるチームである。現在、競泳部門とシンクロ部門から構成されている。過去には1936年ベルリンオリンピック800mフリーリレーで在校生2名の世界新での金メダル獲得をはじめ、日本選手権水泳競技大会、日本学生選手権水泳競技大会などで活躍し、水泳立教と呼ばれ、日本水泳界をリードする時代もあった。長らく低迷する時代が続いたが、近年有望選手が入部し、ユニバーシアード日本代表や日本選手権に出場する選手が出てきており、強化が進んでいる。男子部員は、新座キャンパス近くの「水交寮」(2016年竣工)で合宿生活を送り、チーム力の向上を目指している。
◇アメリカンフットボール部 (St.Paul's Rushers) : 関東学生アメリカンフットボール連盟の1部リーグTOP8に所属、立教大学には珍しい学生最高峰リーグで日本一を目指すクラブ。日本のアメリカンフットボールの歴史は、立教大学教授であったポール・ラッシュの尽力により1934年12月8日に実施された日本発の公式戦、立教大学対明治大学との対戦から幕を開けた。以来、立教ラッシャーズは、日本最古のアメリカンフットボールチームとして学生日本一を争う甲子園ボウルに6回出場、内優勝4回という輝かしい成績を残している伝統のある強豪クラブである。
◇ハンドボール部 :1946年(昭和21年)に体操部より独立し送球部として承認されたのが創部ともされるが、1944年(昭和19年)にドイツチームと交流戦(横浜、東伏見)を行っており、実際の創部はさらに古い。1963年(昭和38年)と1967年(昭和42年)に大学日本一となった古豪チームである。2023年現在、関東学生ハンドボール連盟男子2部に所属している。
◇山岳部 :1922年(大正11年)に創部した歴史ある部で、堀田弥一が隊長を務め日本人として初めてヒマラヤ山脈での登頂(ナンダ・コート 標高6867メートル)を果たすなど、海外でも大きな功績を残している。1956年(昭和31年)には、OBの小原勝郎が副隊長を務めるマナスル登山隊が初登頂を果たし、日本人として初めて8000M峰登頂の快挙を上げた。山岳部は一年を通じてオールラウンドに活動しており、登山を中心に、ロッククライミング、沢登り、雪山登山、アイスクライミングなど季節に応じた活動を行っている。2017年には「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」として、堀達憲ら立教大学OB2人を含む少数精鋭5名の登山隊を編成し、81年ぶりにナンダ・コートへの遠征を行った。この年、インカレ団体戦Bクラス(2部リーグ)にて、40年ぶりにベスト8に進出した。
◇ボート部 :1948年(昭和23年)創部。埼玉県戸田市に艇庫と合宿所があり、戸田漕艇場で練習を行っている。歴史のある日立明三大学レガッタ(日本大学、立教大学、明治大学の3校によるボート対抗戦)も行われている。全日本大学選手権大会では、2002年、2015年、男子舵手なしフォア、2019年、女子エイトが優勝。全日本選手権では、2016年に、創部68年目で初めて実業団などを抑えて男子舵手なしフォアで優勝、2019年には女子ダブルスカルで優勝するなど、近年は強豪校である。2021年には、コロナ禍で同時開催となった「第99回全日本選手権大会 兼 第48回全日本大学選手権」で、男子フォアで優勝、女子舵手付きフォアで準優勝を果たした。
◇馬術部 :1927年(昭和2年)創部。富士見総合グランドにある馬場で練習活動を行っている。2019年には「第69回全日本学生賞典障害馬術競技大会」で杉本瑞生が創部以来初となる個人優勝を果たした。
◇剣道部 :1928年(昭和3年)創部。2019年には、第38回全日本女子学生剣道優勝大会で創部初の全国優勝。1968年に剣道部に最初の女子学生が入部してから初の快挙となった。
◇卓球部 :1918年(大正7年)創部の歴史ある団体。現在関東学生リーグにおいて、男子、女子ともに3部に在籍している。
◇ホッケー部男子 :1924年(大正13年)創部。2021年度関東学生ホッケー春季リーグ2部で優勝し、入替戦にも勝利し、25年振りに1部昇格を決めた。
◇女子ラクロス部 :2019年、第11回ラクロス全日本大学選手権大会で、創部初の全国優勝をした強豪チームである。
◇ボクシング部 :1923年(大正12年)、日本ボクシングの母である荻野貞行(帝拳ジム創設者)らにより創部。1965年(昭和40年)には、第18回関東大学リーグ戦1部優勝、第5回全日本大学トーナメント優勝、全日本大学ボクシング王座決定戦に出場。これまでに5人の全日本選手権優勝者を輩出し、1964年の東京五輪では米倉宝二が日本代表として出場し健闘した。2023年には創部100周年を迎え、記念式典が開催された。
◇スキー部 :1937年(昭和12年)創部。学連にも参加し、翌年の小樽で開催されたインターカレッジより参加。1940年(昭和15年)の第13回野沢大会で2部で優勝し、同年に大学の正規体育会として公認された。1953年(昭和28年)第26回大会で優勝し1部へ昇格。1958年(昭和33年)の第31回大会では1部優勝者を輩出。1962年(昭和37年)に2部へ降格すると、以後低迷し、部員減少にも耐えながら存続を続けた。近年、復活を遂げ、2022年度は男子は2部、女子は1部で活動している。スキー部の創部には、頌栄女子学院元理事長でOBである岡見如雪が携わっている。
◇アイスホッケー部 :1934年(昭和9年)に開始された東京五大学アイスホッケーリーグ(現・関東大学アイスホッケーリーグ)に当初から参加したオリジナル5(慶應・東京帝大・明治・立教・早稲田)の1校である。1936年(昭和11年)から1938年(昭和13年)にリーグ3連覇、1956年(昭和31年)、1958年(昭和33年)にリーグ優勝したほか、1948年(昭和23年)と1949年(昭和24年)に開催された東京八大学アイスホッケーでも2年連続で優勝している。1952年(昭和27年)に開始された東京都大学アイスホッケー選手権大会(現・関東大学アイスホッケー選手権大会)では、1956年(昭和31年)にAグループで優勝したことを皮切りに、1958年(昭和33年)から1960年(昭和35年)に3連覇、1962年(昭和37年)にも優勝し、黄金期を迎えた。日本学生氷上競技選手権大会でも、優勝7回、準優勝10回という成績を残している。しかし、昭和40年代以降は長く低迷期となった。2009年(平成21年)から約40年ぶりに1部復帰を果たすが、再び下位となった。2023年現在、関東大学アイスホッケーリーグ、ディビジョンⅠグループBに所属している。
◇バドミントン部 :1946年(昭和21年)にアメリカ帰りの学生からバドミントン道具一式を譲り受けて「バドミントン同好会」が発足し、翌1947年(昭和22年)に「バドミントン同好会」が大学体育会に登録され、全国の大学に先駆けて創部された。昭和30年代から40年代にかけて数多くの全日本優勝者を輩出し、日本のバドミントン界を牽引するとともに、競技指導のためOBが中国、韓国に渡航し、東アジアのバドミントンの発展にも貢献した。1953年(昭和28年)から1959年(昭和34年)には全日本学生バドミントン選手権大会で7連覇し、合わせて9回の団体優勝をするなど黄金期となった。その後は、長く低迷したが、2008年にアスリート選抜入試制度が開始されたことから、高校時代に全国大会を経験した学生が入部するようになり、再び強豪校になるべく競技レベルの向上が進んでいる。
大学関係者と組織 ■ 大学関係者組織

・ 立教大学の同窓会として「立教大学校友会」が設置されている。校友会員数は2023年8月時点で約23万人。校友会会員相互の親睦を図り、立教大学の発展に寄与することを目的に、校友会報「セントポール」の送付や、会員総会、ホームカミングデー、年次別校友の集い、地区校友の集い、卒業祝賀パーティ、企業等立教会交流会などを開催している。「校友会奨学金」「校友会外国人留学生奨学金」などの各種奨学金による学生支援、「体育会活動奨励金」を通じて大学への支援も積極的に行っている。 : また、全国と世界に「立教会」と呼ばれる校友組織が広がっており、各地域立教会と海外立教会に加えて、企業・職域の立教会、立教経済人クラブ、立教大学体育会OB・OGクラブなどが組織されている。 : 1907年(明治40年)に立教学院校友会が設立され、1939年(昭和14年)に立教大学同窓会として独立。1960年(昭和35年)に立教大学校友会と改称。以来、校友会は立教大学(立教学校、立教大学校、大阪英和学舎、立教専修学校、東京英語専修学校、立教工業理科専門学校および立教大学大学院)全卒業生・修了者で組織・構成されている。 : 1922年(大正11年)2月には旧校友会館(後の旧診療所)が竣工したが、その建設は三菱四天王の一人で校友である末延道成(東京海上火災保険取締役会長、東武鉄道創立発起人、貴族院議員)の寄付によるところが大きかったとされる。また、氏の養嗣子である末延三次(立教大学法学部元教授)によって、末延道成の雅号から名付けた「鳥洞奨学金」が設けられている。 : 1923年(大正12年)から1932年(昭和7年)にかけて、校友である杉浦貞二郎が大学学長を務めていた時期には、美術品コレクターとして松方コレクションの名で知られる校友の松方幸次郎(川崎重工業社長、当時川崎造船所、衆議院議員)が大学と学長の杉浦を支援した。松方は校友会の幹事役員も務めたが、同時期の校友会幹部には、立教学院理事長と校友会会長を務めた松崎半三郎(森永製菓社長)、醤油王として知られる濱口梧洞(ヤマサ醤油社長、貴族院議員)、東京川崎財閥当主の川崎八右衛門(三菱UFJ銀行頭取、三菱UFJ信託銀行頭取)、前田多門(ソニー初代社長、第59代文部大臣)、田邊宗英(日本テレビ放送網会長、新東宝社長)、星野辰雄(渋沢栄一の子、立教大学教授)などが名を連ねている。 : 1928年(昭和3年)に今後の立教学院のさらなる発展に向けて、立教大学において医学部の新設や文学部、商学部の充実化などが計画された際には、それらの実現への原動力となるべく既存の立教学院校友会とは別に立教学院後援会が組織され、会長に松崎半三郎、副会長に星野辰雄、顧問に末延道成、松村松年、大塚惟明、阪井徳太郎、濱口梧洞、吉田栄右らが、理事には前田多門、水田南陽(栄雄)、田邊宗英、生駒粂蔵、根岸由太郎、須藤吉之祐らが名を連ねた。 : 昭和初期には、卒業式後の夜に、丸の内の日本工業倶楽部会館で恒例の校友会主催の新校友歓迎会が催されていた。 : 1977年(昭和52年)11月に落成したセントポールズ会館は、校友各位の募金により建築されたもので、クラス会やOB・OG会の会場や恩師や友人との語らいの場として利用され、レストランとして日比谷松本楼の「立教大学 セントポール会館店」も置かれている。
・ 2016年には、立教生のキャリア形成支援を目的として、卒業生ネットワーク組織「立教グローバル/ローカルキャリア支援ネットワーク(GLCネットワーク)。現在は東京都立千早高等学校の校地となっている。
◇セントポール・グリーンハイツ(現・城北中央公園) 1956年11月13日に、上板橋から練馬にわたる緑地帯に竣工した総合グラウンドで、35,000坪もの広大な面積を擁した。それ以前には、大学には野球部が持つ東長崎グラウンド以外にグラウンドは一つしかなく、面積も約2,000坪と狭く、陸上競技、ラグビー、ホッケー、サッカー部など各部が共用し混雑する状況であった。他の部は、民間会社のグラウンドを借りて練習していた。

■ 歴史資料館

◇立教学院展示館(池袋キャンパス内):立教の歴史と伝統、教育と研究の取り組みを発信する場として、2014年に開館。旧図書館の趣を残した2階の展示スペースでは、貴重資料の展示、タッチパネルディスプレーや映像、写真を通して、立教学院の歴史を学ぶことができる。
◇旧江戸川乱歩邸 - 大衆文化研究センター(池袋キャンパス内):推理小説家江戸川乱歩が、1934年から移り住んだ邸宅、書庫として使われていた土蔵、および4万点近くの蔵書等が、2002年に立教大学へ譲渡され、2006年に江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが設立。土蔵は豊島区指定有形文化財に指定。センターでは現在研究・保存を進めており、一般公開もされている。

■ その他施設

◇太刀川記念館(池袋キャンパス内):ソニー創設メンバーで、立教大学OBの太刀川正三郎の夫人、太刀川あさ子の寄付によって、1996年に建てられた記念館。3階のカンファレンス・ルームでは、各種講演会やシンポジウムなどが開催される。
◇太刀川記念交流会館(新座キャンパス内):太刀川記念館と同じく、太刀川正三郎夫人の太刀川あさ子の寄付により建てられた多彩な交流活動を目的としたコミュニケーションセンター。2007年竣工。宿泊施設もあり、ゼミナール・クラブ・サークル活動、会議、会合、講演会など様々な用途で利用されている。
◇太刀川記念上大崎交流会館(品川区上大崎):立教学院に関わる人々のための多目的研修施設であり、「交流」を目的としたセミナーハウス。
◇スタジオ棟(新座キャンパス内):広さ約200m2、照明下の高さ約5mを持つ映像制作のためのスタジオ。2面R仕様の白ホリゾント壁を設置し、5m×5mのクロマキー合成用のブルーバック幕を備えている。基本となる照明設備は備えつけで、本格的な映画・ビデオ・スチール写真などの撮影が可能。
◇ロフト教室(新座キャンパス 6号館内):最新の自動収納式の観客席(176席)を備え、舞台エリアではダンスや演劇の本格的な公演が可能。座席を収納すると約300m2のフラットな板張り空間としても利用できる。
◇シアター型教室(新座キャンパス 6号館内):4Kデジタルプロジェクターを備えたシアター型教室。デジタルシネマの最先端スペックを備えた上映用施設として利用される。
対外関係 ■ 外国の拠点

  上海事務所  上海市楊浦区国賓路18号 五角場万達広場A座20階 (株)GES 上海事務所内
  香港事務所  c/o Find Asia Limited,Suite 305, 3/F, Far East Finance Centre, 16 Harcourt Road, Admiralty, Hong Kong
  ASEAN事務所(ジャカルタ)  Jl. Sawo Kecik I, Eramas 2000, Jakarta, 13950
  ロサンゼルス事務所  c/o Takuyo Corporation (Lighthouse), 2958 Columbia Street, Torrance, CA 90503, USA
  ニューヨーク事務所  Colleges and Universities of the Anglican Communion, 815 Second Avenue New York, NY 10017-4503, USA


■ 国際交流

◇ 陸前高田プロジェクト : 東日本大震災の被災地である陸前高田市でフィールドワーク(4泊5日)を行い同市の現状や課題を共有した上で、魅力を伝えるコンテンツを作成するという課題に取り組む課題基盤型学習 (Project-based Learning) 授業。国際化戦略「Rikkyo Global 24」の取り組みの一つとして、海外からの留学生を含む立教大学生が、被災地の現状を広く知り、復興における課題の共有を通じて陸前高田市の復興支援に寄与していくことが目的。2015年度より、本授業の趣旨に賛同したスタンフォード大学から毎年学生が派遣されている。2018年度には立教大学へのインターンシップや学生交流で関係の深まった香港大学から、2019年度はシンガポール国立大学から学生が派遣され、4大学によるプロジェクトとなった。
◇ 延世・慶應・立教・復旦リーダーシップフォーラム : 2002 FIFAワールドカップの日韓共催をきっかけとして、延世大学の発案により実現し、延世大学・慶應義塾大学・立教大学の3大学が協力して始まったプログラム。グローバル化の進む社会で活躍するリーダー育成を目的として毎年開催されている。2006年度には、中国の復旦大学が加わり、東アジア地域の学生が集い、真剣に政治・経済・社会・文化を議論する貴重な機会となっている。

■ 地方自治体との協定

  
・北海道羅臼町
・長野県飯田市
・静岡県西伊豆町
・長崎県対馬市   
・ESD研究連携に関する覚書
  
・岩手県陸前高田市   
・陸前高田市と立教大学との連携及び交流に関する協定書
・陸前高田市、岩手大学及び立教大学における地域創生・人材育成等の推進に関する相互協力及び連携協定書
  
・福島県
・栃木県
・福井県
・福岡県
・熊本県   
・Uターン就職支援協定
  
・山形県高畠町   
・連携および交流に関する協定書
  
・茨城県境町   
・研究連携に関する覚書
  
・埼玉県   
・埼玉県と立教大学との相互協力・連携に関する協定書
  
・埼玉県新座市   
・新座市と立教大学との連携協力に関する包括協定書
  
・東京都豊島区  
・池袋キャンパスのある豊島区と「豊島区と立教大学による教育連携の協定」を締結、共同で「としま教育文化工房21」を設立するなど、豊島区と連携した様々な活動が行われている。
・帰宅困難者対策の連携協力に関する協定
・2020年東京オリンピック・パラリンピック事業における連携協力に関する協定
  
・東京都新宿区   
・商工施策に関する協定


■ 他大学との協定

・ F-Campus
 ・ 2001年より開始した5大学間(学習院大学、学習院女子大学、日本女子大学、早稲田大学、立教大学)による単位互換制度。
・ 聖路加国際大学
 ・ 単位互換制度(2001年度開始)
 ・ 医療的な支援および協力に関する協定(2019年協定締結)
・ 順天堂大学(2007年協定締結)
 ・ 順天堂大学と立教大学との間における研究教育に関する協定書
・ 埼玉大学(2015年協定締結)
 ・ 相互協力・連携協定 (学術研究、教育、地域貢献、その他)
・ 岩手大学(2016年協定締結)
 ・ 陸前高田市、岩手大学及び立教大学における地域創生・人材育成等の推進に関する相互協力及び連携協定書
・ 横浜国立大学(2016年協定締結)
 ・ 相互協力・連携協定(学術研究、教育、FDおよびSDの共同実施、教育研究施設・設備の共同利用)
・ 金沢大学(2021年協定締結)
 ・ 連携と協力に関する協定(観光を中心とする学術研究、教育、人材育成)
・ 同志社大学(2024年協定締結)
 ・ 相互協力・連携に関する協定(キリスト教の諸活動における相互協力及び連携、教育・学術研究における相互協力及び連携、学生の正課外活動における相互交流、教職員の人事交流、FD及びSDにおける相互協力及び連携、教育研究施設・装置及び設備の共同利用)
・ 図書館閲覧協定締結校
 ・ 山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム加盟校
 ・ 学習院大学(上記、山手線沿線私立大学図書館コンソーシアムも加盟)
 ・ 埼玉大学
 ・ 埼玉県大学・短期大学図書館協議会加盟校(新座キャンパスのみ)
・ 東京12大学広報連絡協議会
・ 大学情報サミット
 ・ 2005年に発足させた情報機関協定。他の加盟校は、五十音順に慶應義塾大学、中央大学、法政大学、明治大学、早稲田大学。
・ 全国私立大学FD連携フォーラム
 ・ 2008年に発足させたFDに関する日本で初の私立大学連携協定。発足当初からの連携校は関西大学、関西学院大学、慶應義塾大学・中央大学・同志社大学、法政大学、明治大学、立命館大学、早稲田大学。
・ 日本聖公会関係学校協議会
・ 世界聖公会大学連合 (Colleges & Universities of the Anglican Communion)
系列、姉妹校 ■ 系列校
学校法人立教学院では、設置している教育機関を全て同格に扱っており、大学を頂点とする附属学校は設置していない。そのため、本節にてまとめている。
・ 立教小学校
・ 立教池袋中学校・高等学校
・ 立教新座中学校・高等学校

■ 姉妹校
学校法人立教女学院とは、創立者が同じであることから基本的な信条を同じにしている。
・ 立教女学院小学校
・ 立教女学院中学校・高等学校 - 2024年度から立教大学への推薦入学制度が、受け入れ総数201名となる。
・ 香蘭女学校中等科・高等科 - 2025年度から立教大学への推薦入学制度が、受け入れ総数160名となる。現在は聖公会系の学校法人香蘭女学校が運営するが、立教大学と同じ経営母体が運営していた時期がある。
・ 立教英国学院 - 立教大学元教授、立教高校(現・立教新座中学校・高等学校)元校長の縣康が1972年に創設。立教大学へ25名(学年の半数以上)の推薦入学枠があったが、2025年度より大学と定めた推薦条件を満たせば、人数の制限なく進学可能となった。

■ 旧姉妹校

・ 聖ヨハネ大学(セント・ジョンズ大学) - ウィリアムズの後任である米国聖公会中国・上海主教のが聖ヨハネ書院として設立した中国初の高等教育機関で、東方のハーバード大学と呼ばれた。
関係校 立教大学はキリスト教の一派である日本聖公会に所属している。
・ 聖路加国際大学
・ 平安女学院中学校・高等学校
・ 平安女学院大学
・ 桃山学院中学校・高等学校
・ 桃山学院大学
・ 桃山学院教育大学
・ プール学院中学校・高等学校
・ 神戸国際大学附属高等学校
・ 神戸国際大学
・ 松蔭中学校・高等学校
・ 神戸松蔭女子学院大学
・ 名古屋柳城女子大学
・ 名古屋柳城短期大学
・ 聖十字看護専門学校
・ 聖ステパノ学園小学校・中学校
社会との関わり ■ 立教と映画

・ 立教大学は、多数の映画人を輩出してきた。1970年代から1980年代にかけて、大学の一般教養科目に「映画表現論」の講義があり、映画好きの学生たちは、講師をしていた蓮實重彦(のちの東大総長)に影響を受け、一定の思想性、党派性を持った活動を行った。サークル活動としては、映画制作サークルである立教SPP(セント・ポールズ・プロダクション)やSPPから独立した自主映画制作サークル「パロディアス・ユニティ」などがあった。
一連の映画活動は、立教ヌーヴェルヴァーグともいわれ、日本映画に記憶を残す作品を発表する監督たちが多数卒業生の中から生まれている。当時の立教大学には映画関係の学部や学科がなかったにも関わらず、多くの映画人を輩出してきたのは蓮實重彦の影響力の大きさに加え、蓮實に呼応した学生たちの自主的な活動が生み出したものといえる。
2006年には、新座キャンパスに現代心理学部・映像身体学科が設置され、映画・映像制作が学べる環境が整っており、気鋭の若手映画監督も生まれている。
・ 1925年(大正14年)には、立教大学文学部英文学科に在学中の清水みのる(作詞家)が、「ブレーブ映画研究会」を組織し、そこに集まった映画研究生とともに、小笠原プロダクションの別流としての映画を制作し、浅草大勝館で封切の一般上映を行うなど、古くから大学では映画のサークル活動が行われ、映画制作を行う土壌があった。
現在では周辺地域で池袋モンパルナス回遊美術館が開かれ、大学でもアート作品の企画展示など行っている。

■ 立教大学に関連する映画、TVドラマなどの作品

・ 『エノケンの青春酔虎伝』(1934 映画)
・ 『探偵物語』(1983 映画)- 新井直美が通う大学
・ 『シコふんじゃった。』(1992 映画)- 立教大学相撲部がモデル
・ 『あすなろ白書』(1993 TVドラマ)
・ 『ロングバケーション』(1996 TVドラマ)- 瀬名秀俊の母校、奥沢涼子の通う日本芸術大学として登場
・ 『テニスの王子様』(1998-2008 漫画)- 立教中学校(現・池袋キャンパスなど)がモデル
・ 『チープラブ』(1999 TVドラマ)- 琴塚七海が通う大学
・ 『やまとなでしこ』(2000 TVドラマ)
・ 『天才柳沢教授の生活』(2002 TVドラマ)- 柳沢教授が勤める国際文化大学として登場
・ 『カミュなんて知らない』(2006 映画)
・ 『輪舞曲』(2006 TVドラマ)- 風間琴美が通う大学
・ 『テニスの王子様』(2006 実写映画)
・ 『EXILE/道』(2007 PV)
・ 『東京喰種トーキョーグール』(2017 映画)
・ 『米津玄師/カナリヤ』(2020 PV)
・ 『七人の秘書』(2020 TVドラマ)
・ 『ウチの娘は、彼氏が出来ない』(2021 TVドラマ)- 水無瀬空が通う大学(新座キャンパス)
・ 『声春っ』(2021 TVドラマ)
・ 『ガリレオ 禁断の魔術』(2022 TVドラマ)
・ 『リーバイス OUTERWEAR COLLECTION』(2022 コレクション)
・ 『すずめの戸締まり』(2022 劇場版アニメ)
・ 『First Love 初恋』(2022 Netflixドラマ)
・ 『有吉の壁 選んだ先輩と壁を越えろ!おもしろ大学の人選手権』(2023 TV番組)
・ 『ケイスケ ヨシダ 2024-25年秋冬コレクション』(2024 コレクション)

■ 立教と避暑地リゾート

・ 日本の避暑地リゾートを開拓した立教大学ゆかりの人物 :日光を生涯にわたって愛したジェームズ・ガーディナー(立教学校初代校長)をはじめ、聖公会神学院の前身の一つである聖教社神学校を設立したアレクサンダー・クロフト・ショーは、軽井沢に教会(軽井沢ショー記念礼拝堂)を設立し、地域を有名にしたことから「軽井沢の父」と呼ばれ親しまれている。また、立教大学教授を務めたポール・ラッシュは、清里を開拓し、キープ協会を創設した。彼ら、立教大学ゆかりの人物たちによって、日本の避暑地リゾートが開拓されている。聖路加国際病院の基礎を造ったフランク・ハレルも、仙台の第二高等中学校(現・東北大学)で教えていた時期に、七ヶ浜町の高山外国人避暑地を開拓した。
:軽井沢ショー記念礼拝堂は現存し、日光にはガーディナーが設計した日光真光教会礼拝堂やエマーソン邸(上赤門)が現存する。清里にはキープ協会により運営されている宿泊研修施設「清泉寮」とラッシュを中心に設立された清里聖アンデレ教会がある。七ヶ浜町には外国人避暑地が開かれた歴史を背景とした地域の国際化拠点である七ヶ浜国際村が避暑地近くに設けられている。

■ 日本アルプスの父、日本アルプスの開拓者
英国聖公会の宣教師ウォルター・ウェストンは、日本の山々や上高地を世界中に紹介した登山家でもあり、「日本アルプスの父」、「日本近代登山の父」と称されている。ウェストンは、まだ登山という概念がなかった明治時代に日本人に先駆けて各地の山に登り、その体験を1896年(明治29年)に「日本アルプスの登山と探検」という本にまとめ、ロンドンで刊行し世界に紹介した。ウェストンは、英国の歴史あるパブリックスクールの名門ダービー校の卒業生で、スポーツを通じた人間教育を受けており、スポーツとしての登山の醍醐味を日本人に教えた。また、日本山岳会の設立を提唱し、ロック・クライミングを日本で初めて行った人物でもある。上高地にある彼のレリーフの前で毎年「ウェストン祭」が開かれている。
立教学院総理のヘンリー・タッカーと立教学院理事で聖路加病院院長のルドルフ・トイスラーも登山を好み、明治時代に日本アルプスの踏破を幾たびも試みた日本アルプスの開拓者として名を連ねている。1903年(明治36年)8月には、タッカーとトイスラーは槍ヶ岳に登山している。

■ 立教とクラシックホテル
現存する日本最古のリゾートホテルである日光金谷ホテルや箱根のランドマークでもある富士屋ホテルを始め、以下のとおり、日本を代表するクラシックホテルの多くで立教大学の卒業生が経営に携わり、歴史を創ってきた。2017年には、これらのホテルを含む日本のホテル黎明期に創業し、戦前・戦後を通して西洋のホテルのライフスタイルを具現化してきた9つのホテルで「日本クラシックホテルの会」が設立された。人材交流や訪日外国人へ向けた共同PRなどの連携を通じて、先人たちから創り上げてきたホテル文化を次世代へと繋ぐ取り組みを進めている。
・日光金谷ホテル - 金谷眞一(元社長)
・富士屋ホテル - 山口正造(元社長)、勝俣伸(社長)
・万平ホテル - 佐藤泰春(元会長)
・奈良ホテル - 澤村愛策(元支配人)。

■ ポーター賞受賞企業
一橋大学大学院経営管理研究科が運営するイノベーションによって独自性ある戦略を実行し、高い収益性を達成している企業を表彰する「ポーター賞」を立教大学の卒業生が経営する企業が受賞している。ポーター賞は、ハーバード大学教授のマイケル・ポーターの名前に由来し、2001年7月に創設された。
 2016年度受賞  ピジョン株式会社  山下茂  1981年卒
 2018年度受賞  株式会社MonotaRO  鈴木雅哉  1998年卒
大学発ベンチャー ■ オリシロジェノミクス株式会社
理学部生命理学科の末次正幸教授が2017年に発明した、細胞を使わずに長いDNAを効率的に合成する技術(セルフリー長鎖DNA合成技術)を実用化する目的で2018年12月に設立。大学での研究段階で既に技術開発のフェーズまで進んでおり、事業開始から1年半足らずで最初の製品がリリースされた。科学技術振興機構(JST)と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)による「大学発ベンチャー表彰2021」では科学技術振興機構理事長賞を受賞した。2023年1月、同社をCOVID-19ワクチンを扱うバイオ医薬企業世界トップの米Moderna社が評価し、買収すると発表。買収金額は8500万ドル(約110億円)となった。
関連文献


・ 立教学院百二十五年史編纂委員会 『立教学院百二十五年史 図録:Bricks and Ivy』 学校法人立教学院、2000年

「立教大学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2024年7月22日16時(日本時間)現在での最新版を取得。

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