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京都市立芸術(美術)芸術/生活系


偏差値58( 4つ星評価 )
得点率概算69.6%
626.4点/900点満点
偏差値順位全国 529位/2324校( 学部単位 )
近畿地方 145位/490校( 学部単位 )
京都府 54位/113校( 学部単位 )
国公立/私立国公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。
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【京都市立芸術大学】
日本では初の公立の絵画専門学校を母体に設立された、日本最古の芸術大学。
沿革 美術学部は、1880年(明治13年)に創設の京都府の画学校が起源。6月に太政大臣三条実美により「日本最初京都画学校」と命名され、7月に京都御苑内の旧准后里御殿仮校舎で開校式が行われた。 背景には、東京奠都によるパトロンの喪失・文明開化による伝統文化の冷遇などから、円山派・四条派といった京都画壇の諸派が危機に陥ったことにある。美術を立て直すために市民の間から美術家養成機関としての近代的な「学校」を作ろうという声が高まり、その熱意の結果創立されたものである。これには同じく文明開化で低迷していた京都の主力産業である伝統工芸の近代化を支援するため、密接な関係にある美術界を盛んにする目的もあった。 当時、京都の芸術界を取り巻く環境は厳しく、元治元年(1864)、幕府側と長州藩による市街地戦(禁門の変)に端を発した戦火は市中を覆い、約2万7千件の家屋が焼失した。政治的混乱で復興も進まないまま、幕府は消滅。明治新政府の発足とともに首都の座は東京に移り、京都市域の人口は35万人から20万人あまりに激減したとされる。国の絵師たちも打撃を受け、京都は朝廷や公家など有力者の仕事を請け負う全国の絵師のほか、数多くの町絵師を抱えていたが、人口減と経済低迷で絵の買い手がなくなった。染色の図案や測量図面を描いて、日銭を稼ぐ絵師もいたともされている。画学校の設立には、京都だけでなく日本国の芸術界の存亡がかかっていた。 学校設立に奔走したのは市井に生きた絵師たちである。明治11年(1878年)、府知事に出された学校設立の建議書には、京都芸術界の主流・四条派を率いた幸野楳嶺のほか、鈴木派の久保田米僊らが名を連ねた。初代校長に就いた田能村直入は南画界の大御所だが、各地の有力者を回って資金を広く集めた。 流派を超えた連携に、偶然の出会いが重なる。学校発足翌年、北垣国道は府知事に就任すると、資金面などで学校を支えた。北垣は幕末、スパイと間違えられ処刑されそうになったが、森派の絵師、森寛斎の取りなしで命を救われ、絵師たちと知己があったのではないかとされている。 芸術を支えるには経済力を背景にした都市の「力」が不可欠な為、意味でも北垣の存在は大きかった。京都は事業を通じ、復興を成し遂げると産業界が質の高い工芸品を作れる優秀な人材を欲したことで学校の存在感は高まり、芸術界に逸材を送り込んでいった。 画学校では修業年限3年間のうちに文人画や大和絵、狩野派など日本の美術の諸派を学ばせた。また、殖産興業のために工芸品の意匠・デザインに関する教育をおこなうことも目的のひとつであり、その課程に西洋画を導入したことは当時としては画期的であった。西洋画は当初日本では、芸術文化の類というよりは建築などの図面を描く工業技術として、京都府画学校創立に先立つ1876年(明治9年)工部美術学校などで導入されていたからである。工部美術学校がアーネスト・フェノロサらによって西洋美術学習・研究の発展を妨害され、後発の東京美術学校もフェノロサや岡倉天心の意向によりながらく西洋画科が置かれなかったのとは対照的である。 古くは京都画壇の中心地であったと言われ、また京都の陶磁器、漆工芸、染織などの地場産業に多くの人材を供給して活発化させた。明治以来多くの日本画家、洋画家、版画家、陶芸家、染織家、デザイナー、音楽家、現代美術作家を養成してきた。過去京都市の財政難で国立大学へと移管する話もあったが、京都市民の熱望の賜物である学校の窮状を救おうと、古くからの町衆や旧家などから存続のための多数の寄付を受け、音楽短大と統合した今も市立大学であり続けている。 嘗てより徹底した少人数教育を行っている。卒業生は現代美術家の草間彌生や女性初の文化勲章受章者である上村松園、サグラダ・ファミリア主任彫刻家の外尾悦郎、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団首席指揮者の佐渡裕、直木賞受賞推理作家黒川博行、日本人女性初のアカデミー賞(衣裳デザイン賞)を受賞したワダ・エミ、重要無形文化財「木工芸」保持者の人間国宝村山明、重要無形文化財「友禅」保持者の人間国宝森口邦彦らなどといった国内外問わず第一線で活躍する数多のアーティスト、教育者、研究者を育成及び輩出しており、欧州の伝統的な芸術大学との交流も盛んである。教職員と卒業生と中には、文化勲章を授与された人物16名、日本芸術院の会員24名、人間国宝に認定されたアーティスト10名がいる。 テクノロジー企業への就職者も多く、特に任天堂やSONYへの年間就職者数が芸術大学の中でも多い。ゲーム会社への就職者はゲームキャラクターデザイナーだけでなく、任天堂が展開している主力サービス『ニンテンドーeショップ』、『Nintendo Switch Online』などといったオンラインサービス分野でのUI/UX設計を手掛ける藤野洋右を輩出するなど分野は多岐にわたる。 1980年に、東山区今熊野の美術学部と左京区聖護院の音楽学部が、洛西ニュータウン付近の西京区大枝沓掛町に統合移転した。しかし郊外で交通アクセスが悪く他大学や学外との交流に支障をきたしているほか、建物の老朽化、傾斜地にあるためバリアフリー化が進まないことなどから都心への移転を模索する動きがある。2013年3月には大学が市に対して、JR京都駅のすぐ東側の崇仁小学校跡地(約1ヘクタール)を中心とした地域への移転と、合計4ヘクタールの用地確保を求める要望書を提出しており、これを受けて2014年1月に京都市は、大学の下京区崇仁地区への移転整備と、大学転出後の洛西地区の活性化への取り組みを明らかにした。2023年4月より移転校舎にて供用開始される予定。
年表 ・1880年(明治13年) - 京都府画学校創立(京都御苑旧准后里御殿を仮校舎とする)
・1882年(明治15年) - 暴風のため校舎破損、河原町織殿へ移転
・1885年(明治18年) - 河原町元勧業場跡へ移転
・1889年(明治22年) - 京都府から京都市の経営に移り、京都市画学校と改称、京都御苑内博覧会東館へ移転
・1890年(明治23年) - 東山華頂山麓、知恩院通照院へ移転
・1891年(明治24年) - 京都市美術学校と改称
・1893年(明治26年) - 京都御苑内東南隅の新校舎へ移転
・1894年(明治27年) - 京都市美術工芸学校と改称
・1901年(明治34年) - 京都市立美術工芸学校と改称
・1907年(明治40年) - 上京区吉田川端通荒神口の新校舎へ移転
・1909年(明治42年) - 京都市立絵画専門学校を新設・開校(校長は兼任、美術工芸学校の校舎の一部を転用、美術工芸学校と併設となる)
・1926年(大正15年) - ともに東山区今熊野の新校舎へ移転 :京都市立美術工芸学校は後に京都市立美術高等学校となり、京都市立日吉ヶ丘高等学校ほかに継承、日吉ヶ丘高等学校美術工芸科は1980年に独立し、京都市立銅駝美術工芸高等学校となる)
・1945年(昭和20年) - 京都市立絵画専門学校、京都市立美術専門学校と改称
・1948年(昭和23年) - 京都市立堀川高等学校に音楽課程設立
・1950年(昭和25年) - 京都市立美術専門学校をもとに京都市立美術大学創立。京都市立堀川高等学校音楽課程に専攻科設立
・1952年(昭和27年) - 堀川高等学校音楽課程専攻科が、京都市立音楽短期大学として独立(北区出雲路立本町)
・1956年(昭和31年) - 京都市立音楽短期大学、左京区聖護院の市警察学校跡地へ移転 :京都市立堀川高等学校音楽課程も共に聖護院へ移転、1980年に沓掛の京都芸大隣接地に移転、1997年に京都市立音楽高等学校(現京都市立京都堀川音楽高等学校)となる。
・1969年(昭和44年) - 市立美術大学と市立音楽短期大学が統合し、京都市立芸術大学となり2カ所で開学
・1970年(昭和45年) - 南校舎から出火。隣接する智積院宝物殿に飛び火し大屋根を焦がした。
・1974年(昭和49年) - 梅原猛教授が学長となる。
・1975年(昭和50年) - 校舎火災により山科移転案が出されたが、名神高速道路沿いの騒音地のため移転反対運動が起きる。
・1980年(昭和55年) - 今熊野と聖護院から、郊外の新興住宅地に近い西京区大枝沓掛町に統合移転。大学院美術研究科修士課程設置
・1986年(昭和61年) - 大学院音楽研究科修士課程設置
・2000年(平成12年) - 大学院美術研究科博士(後期)課程設置、日本伝統音楽研究センター開設。大学院美術研究科修士課程(保存修復専攻)設置、創立120周年を迎える
・2003年(平成15年) - 大学院音楽研究科博士(後期)課程設置
・2010年(平成22年) - 4月、中京区油小路通御池押油小路町の堀川音楽高校隣接地に京都市立芸術大学ギャラリー(「@KCUA」、アクア)開館
・2012年(平成24年) - 4月、公立大学法人化
・2013年(平成25年) - 3月、京都市へ京都駅東の下京区崇仁地区への移転を求める要望書を提出
・2014年(平成26年) - 1月、京都市は大学の京都駅東側への移転整備を発表
・2014年(平成26年) - 4月、芸術資源研究センター開設
学部・学科 ・美術学部
 ・美術科
  ・日本画専攻
  ・油画専攻
  ・版画専攻
  ・構想設計専攻
  ・彫刻専攻
 ・デザイン科
  ・ビジュアルデザイン専攻
  ・環境デザイン専攻
  ・プロダクトデザイン専攻
 ・工芸科
  ・陶磁器専攻
  ・漆工専攻
  ・染織専攻
 ・総合芸術学科
  ・総合芸術学専攻
・音楽学部
 ・音楽学科
  ・作曲専攻
  ・指揮専攻
  ・ピアノ専攻
  ・弦楽専攻
  ・管・打楽専攻
  ・声楽専攻
  ・音楽学専攻
研究科・専攻 ■修士(博士前期)課程

◇美術研究科
・絵画専攻
 ・日本画・油画・版画・構想設計(※2012年、造形構想から変更)
・彫刻専攻
 ・彫刻
・デザイン専攻
 ・ビジュアルデザイン・環境デザイン・プロダクトデザイン
・工芸専攻
 ・陶磁器・漆工・染織
・芸術学専攻
・保存修復専攻
◇音楽研究科
・作曲・指揮専攻(作曲)
・作曲・指揮専攻(指揮)
・器楽専攻(ピアノ)
・器楽専攻(弦楽)
・器楽専攻(管・打楽)
・声楽専攻
・音楽学専攻

■博士後期課程

◇美術研究科
・美術専攻 (以下は研究領域)
・日本画
・油画
・版画
・メディア・アート
・彫刻
・ビジュアルデザイン
・環境デザイン
・プロダクト・デザイン
・陶磁器
・漆工
・染織
・産業工芸・意匠
・保存修復
・芸術学
◇音楽研究科
・音楽専攻 (以下は研究領域)
・作曲・指揮研究領域
・器楽研究領域
・声楽研究領域
・音楽学研究領域
大学関係者一覧 ・ 京都市立芸術大学の人物一覧

「京都市立芸術大学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2021年1月17日8時(日本時間)現在での最新版を取得。

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