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東北(教育)文/語/教育系


偏差値66( 5つ星評価 )
得点率概算79.2%
712.8点/900点満点
偏差値順位全国 228位/2324校( 学部単位 )
東北地方 11位/121校( 学部単位 )
宮城県 5位/42校( 学部単位 )
国公立/私立国公立
男女共学
※記載の値はサイト独自に算出したデータであり、
ひとつの目安として参考程度にとどめてください。

【東北大学】
概要
沿革 ○ 略歴 1900年(明治33年)1月29日、第14回帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が採択され、議会として東北地方に帝国大学を設置する正式な要望が政府に表明された。しかし、政府の資金難により設置が進まず、1902年(明治35年)にも「東北帝国大学設立建議案」が再度採択された。1906年(明治39年)、札幌農学校を帝国大学農科大学に昇格させ、新設予定の理工科大学と大学予科と併せて北海道帝国大学とする案が浮上するも、東北選出の代議士が反発。その結果、新設予定の理科大学を仙台に置く折衷案を政府に要求することとなった。1907年(明治40年)9月1日には勅令236号が施行されたが、この時点では札幌農学校を東北帝国大学農科大学(札幌区)へと改組するのみに留まった。札幌農学校は開学当初より学士号の授与が認められており、帝国大学とならぶ高等教育機関であった。このため、前身をもたない理科大学の建設が完了するまで、札幌の農科大学のみで運営することを前提とした東北帝国大学農科大学官制が施行され、東北帝国大学総長の職務は農科大学学長(佐藤昌介)が代行することになった。準備も整った1911年(明治44年)1月に理科大学が設置された(同月、九州帝国大学も創設)。開学式は1913年(大正2年)9月22日に挙行された。この他、1912年(明治45年)に仙台医学専門学校を包摂して医学専門部を設置。また、仙台高等工業学校を包摂して工学専門部を設置した。仙台医学専門学校は、1872年(明治5年)設立の宮城県立医学所を母体とするものであり、東北大学医学部ならびに艮陵(ごんりょう)同窓会では、1872年(明治5年)を医学部開設年(母校創立の日)と定めている。かつては「明倫養賢堂」から仙台藩医学校が分離された1817年を医学部創立の起点とする主張もあったが、今日では、医学系部局に関しては1872年を創立の起点として位置づけるのが一般的である。1915年(大正4年)、医学専門部は生徒募集を停止し、東北帝国大学医科大学が設置された。新入生は医科大学、以前からの在校生は医学専門部のままという状態であったが、施設は双方とも仙台医学専門学校以来の施設を流用した。ただし、医科大学には新たに先行帝国大学の東京帝国大学卒・京都帝国大学卒の人材を教授として招聘した。1918年に医学専門部の最後の学年が卒業すると医学専門部は廃止された。そのため、医学専門部の一部の教授らは異動を余儀なくされ、他都市の医学専門学校へと移っていった。大学令公布に伴う各帝国大学の分科大学制から学部制への改組に先立って、仙台市(理大・医大・工専)と札幌区(農大)に分かれている東北帝国大学の分科大学および専門部を各都市毎に分立させることになり、1918年、北海道帝国大学新設と同時に農科大学を移管した。1919年(大正8年)、学部制に改組すると同時に東北帝国大学工学部が設置された(この時の学部構成は理学部、医学部、工学部、工学専門部)。工学専門部では、医学専門部と同様に廃止されるとの危惧から存続運動が起こった。結果的に工学専門部は、仙台高等工業学校以来の建物等を東北帝国大学工学部に譲り、別の土地に建物を新設して、元の仙台高等工業学校との名称で分離独立した(後に仙台工業専門学校と改称)。1922年(大正11年)、法文学部が設置された。同学部は帝国大学の文系学部としては東京・京都に次いで3番目の設置であり、現在の文系4学部の礎をなす学部である。ちなみに、第二次世界大戦前の帝国大学では、北海道・大阪・名古屋以外の6大学(東京・京都・東北・九州・京城・台北)に文系学部が設置されていた。ただし、戦前に法学部、文学部、経済学部の分立設置が認められたのは東京・京都のみで、他の大学は法文学部(東北・九州・京城)や文政学部(台北)などの学際学部であった。1947年(昭和22年)に東北帝国大学は「東北大学」に改称。1949年(昭和24年)に実施された学制改革に伴い、仙台市所在の官立学校(旧制第二高等学校、仙台工業専門学校、宮城師範学校、宮城青年師範学校)を統合。旧制宮城県女子専門学校を包括したうえで新制大学へと改組された。これら高等教育機関は、旧制第二高等学校が教養部へ、仙台工業専門学校が工学部と合流、両師範学校は教育学部へ、宮城県女子専門学校は農学部家政学科へとなった。家政学科は生活科学科と改称後、1960年(昭和35年)に廃止された。1965年(昭和40年)、国立学校設置法改正を期に、師範学校の流れを汲む教育学部の教員養成系統が分立し、宮城教育大学が設置された。1967年(昭和42年)には、東北大学教育学部附属中学校・小学校および幼稚園を宮城教育大学に移管した。1994年(平成6年)からは大学院重点化を開始した。また、2004年(平成16年)の国立大学法人化を期に、法科大学院、公共政策大学院、会計大学院の3つの専門職大学院を設置した。現在は青葉山新キャンパスの具体化やその他の改革を行っている。
○ 創立以前
・1736年(元文元年) 仙台藩が藩校として明倫養賢堂を設置。
・1760年(宝暦10年) 明倫養賢堂で医学教育が開始される。
・1817年(文化14年) 明倫養賢堂から仙台藩医学校を分離。
・1822年(文政5年) 仙台藩は仙台藩学校蘭科を開設し、日本初の西洋医学講座を実施。
・1869年(明治2年) 仙台藩医学校を施薬所と改称。
・1872年(明治5年) 東京府・芝の増上寺内に開拓使仮学校設置。仙台県が宮城県へと改称されたのに伴い、施薬所を母体に宮城県立医学所となる。同年中に宮城県立医学所は廃止され、共立病院附属学舎へと改組。
・1873年(明治6年) 共立病院附属学舎は共立義塾と改称ののちに解散、1872年に設立されていた共立病院附属塾舎と統合。
・1875年(明治8年) 北海道石狩国札幌郡札幌に開拓使仮学校札幌学校が発足する。
・1876年(明治9年) 開拓使仮学校札幌学校を札幌農学校と改称。7月にクラーク博士が教頭就任。8月14日札幌農学校開校式挙行。
・1878年(明治11年) 札幌農学校演武場(現在の札幌市時計台)が竣工。
・1879年(明治12年) 共立病院は同年中に仙台公立病院、宮城病院と順次改称、共立病院附属塾舎は最終的に宮城病院附属医学校へ改組
・1880年(明治13年) 宮城病院附属医学校を宮城医学校と改称(1881年に元の名称に戻るも1882年に再度宮城医学校となる)
・1887年(明治20年) 宮城医学校を母体に第二高等中学校医学部を設置。
・1886年(明治19年) 札幌農学校植物園が竣工。
・1894年(明治27年) 第二高等中学校は学制改革に伴い第二高等学校へ改組。佐藤昌介が札幌農学校校長に就任する。
・1901年(明治34年) 第二高等学校医学部を母体に仙台医学専門学校を設置。
・1907年(明治40年)4月 仙台高等工業学校が新設される。
○ 東北帝国大学時代
・1907年(明治40年)
 ・6月22日 東北帝国大学設置の勅令が公布される(創立記念日)。
 ・9月 札幌農学校は東北帝国大学農科大学となる。同校校長佐藤昌介は農科大学長となり、1910年末までは総長としての職務も代行した。
・1911年(明治44年) 仙台市に本部・理科大学を設置。澤柳政太郎を初代総長として選出。
・1912年(明治45年)4月1日 仙台医学専門学校を包摂して東北帝国大学医学専門部、仙台高等工業学校を包摂して東北帝国大学工学専門部とする。
・1915年(大正4年) 医学専門部を母体に医科大学を設置。
・1918年(大正7年) 農科大学は、分離独立して北海道帝国大学(現在の北海道大学)となる。
・1919年(大正8年) 大学令公布に伴い、分科大学制を学部制へ改組。工学部を設置。
・1921年(大正10年) 工学専門部が、仙台高等工業学校として分離独立。
・1922年(大正11年) 法文学部を設置。
・1936年(昭和11年) 創立25周年記念式典を開催。
○ 東北大学時代
・1947年(昭和22年) 農学部を設置。東北大学へと改称。
・1949年(昭和24年) 学制改革に伴い、仙台市所在の官立学校(第二高等学校、仙台工業専門学校、宮城師範学校、宮城青年師範学校)を統合し、宮城県女子専門学校を包括して新制大学へ改組。法文学部を法学部、文学部、経済学部へ改組。教育学部を設置。
・1953年(昭和28年) 大学院設置(文学研究科、教育学研究科、法学研究科、経済学研究科、理学研究科、工学研究科、農学研究科)。
・1955年(昭和30年) 大学院医学研究科設置。
・1957年(昭和32年) 進駐軍・川内キャンプ(旧仙台城二の丸)の跡地を取得し、川内キャンパスとする。
・1961年(昭和36年) 大学院薬学研究科設置。
・1964年(昭和39年) 教養部設置。
・1965年(昭和40年) 歯学部を設置。教育学部の教員養成系統を宮城教育大学として分離。
・1972年(昭和47年) 医学部を改組し、医学部薬学科を分離して薬学部を設置。大学院歯学研究科設置。
・1973年(昭和48年) 医学部を改組し、医療技術短期大学部を設置。
・1987年(昭和62年) 金属材料研究所を全国共同利用研究所に改組。
・1993年(平成5年) 教養部を廃止。大学院国際文化研究科、情報科学研究科設置。
・1994年(平成6年) 大学院各研究科の重点化を開始。大学院医学研究科を大学院医学系研究科へ名称変更。
・1995年(平成7年) 電気通信研究所を全国共同利用研究所に改組。
・2001年(平成13年) 大学院生命科学研究科設置。
・2002年(平成14年) 大学院教育情報学教育部・研究部設置。
・2003年(平成15年) 大学院環境科学研究科設置。医療技術短期大学部を医学部保健学科へ改組。
・2004年(平成16年) 国立大学法人法の規定により国立大学法人へ改組。大学院法学研究科を改組、法科大学院(総合法制専攻)、公共政策大学院(公共法政策専攻)設置。
・2005年(平成17年) 大学院経済学研究科を改組、会計大学院(会計専門職専攻)設置。
・2006年(平成18年) 薬学部を改組し、創薬科学科(4年制-研究者養成)と薬学科(6年制-薬剤師養成)を設置。
・2006年 青葉山県有地を宮城県から購入。青葉山新キャンパスとして整備を開始。
・2007年(平成19年) 創立100周年。公式ロゴマークおよび公式カラーを制定。
・2008年(平成20年)10月 東北大学記念講堂(川内記念講堂)および松下会館を東北大学百周年記念会館(通称「川内萩ホール」)として改修。
・2009年(平成21年)4月 日本国内では初となる医工学研究科を設置
・2012年(平成24年)1月 東北大学が運営を委託された大学入試センター試験気仙沼会場にて、事前確認の不徹底により、英語リスニング試験に使用するICプレーヤーが200個不足するミスが発生し、到着して試験開始するまで受験生を2時間も待たせた失態が発生した。
○ 東日本大震災の影響
・2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で女子学生2名と入学予定の女子高校生1名が津波に呑まれ死亡し、卒業生にも多数の死者・行方不明者が出た。また教職員・在校生の大半が被災し、沿岸部に住む者の中には住居を失った者も少なくなかった。各キャンパスも震度6強・6弱の烈震に見舞われ、さらにその後も震度5クラスの強い余震が多発。これにより、大学の各施設や研究設備は過去に例がないほどの甚大な被害を受けた。一部では割れた薬品が反応して火災も発生したが、初期消火で建物全体が燃えることはなかった。
・大学当局は復旧に追われ、12日に予定されていた後期試験を中止。大学入試センター試験の点数で合格者を決める異例の措置を採った。さらに卒業式も中止され、入学式・授業開始も5月初旬へ1カ月延期された。5月に行われた入学式は、宮城県内の主要なホールが震災の影響で使用できなかったため、各学科・研究科の建物内でオリエンテーションとして行われた。
・被災して著しく損傷した川内キャンパス川内合同研究棟塔屋も2011年(平成23年)7月に取り壊された。青葉山キャンパスを中心に合計28棟が使用不能となり損失額は440億円に及ぶ見込みとなっている。2012年(平成24年)4月1日に、総合的な災害研究を目的とした附置研究所、「災害科学国際研究所(IRIDeS イリディス)」を設置。自然科学系だけでなく、人文科学系・社会科学系の研究者も在籍している。

「東北大学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)。2020年7月13日12時(日本時間)現在での最新版を取得。


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